茨木市議会議員 山下けいきHP

 

四万十川100キロマラソン完走記

100キロ完走という、ここ数年来の夢を1021日の高知四万十川マラソンで実現することができた。

 大会の当日、3時半に目覚ましをかけたものの起きたのは4時ぐらい。同宿の平野さんと巡回バスに乗って会場につくが、参加者 みんなが自信満々に見えてくる。何せ私はスロースターター。大会の準備は8月から。しかも89月と120キロ、130キロを超す程度の走りこみ。練習量の絶対的な不足に加え、左足アキレス腱や右膝の不安もあって、走る資格があるんだろうかと、つい肩身の狭い思いにかられてしまう。大会1ヶ月前25キロでダウンしたことが更に不安を募らせる。目標はフルマラソンの42キロを少しでも越えたらいいぐらいに置き、完走の可能性は半分もないと言い聞かせての参加だった。

 

 写真の中で上のスタート、給水所、沈下橋の3枚は翌年の大会参加申込みの中にあったものでびっくりしたり感激したりで、お願いして送ってもらいました写真をクリックすれば大きくなります。

 

 朝の5時半、まだ暗い中をスタート。車のライトがコースを照らす。10キロ手前ぐらいから標高600m の峠越えにかかる。この登りと下りはせせらぎを横目に見ながらの走り。調子も悪くない。降り始めた雨は下るころからだんだんと本降りになっていく。

 40キロ、フル (42.195キロ)の標示があり、さぁこれからは未知の世界と気を引き締める。このころはまだ元気だった(と思う)が、その後の急な登りは歩くことしかできないほど、がたがきていた。

クリックすると大きな画像が見れます

 

 

 

 

 

 

左端に私、その後に平野さん

クリックすると大きな画像が見れます

 給水所には水、お茶、スポーツドリンクの飲み物以外に、バナナ、チョコレート、みかん、パン、おにぎり、味噌汁、エビ、飴玉、氷砂糖、塩、梅干が並べられていた。まさにオアシス。沿道の 民家でも食べ物、飲み物をいただく。本当に感謝である。

 100キロ走れば体重が減りそうなものだが、 私はほとんど変わらない。食い意地だけは疲れていても健在だったようだ。

 

 楽しみは62キロ にあるカヌー館。ここで着替えて一休み。

 後半に入ったが、すでにまともな走りではない。ともかく歩き、手を振って走る格好をする。おかしなもので少しは走れるようになり、スピードもでてくる。給水所で休憩するたび、足は再び硬直、歩き出し、また手を振るところから繰り返す。これが最後まで続いた。

 

 

クリックすると大きな画像が見れます

            

四万十川といえば沈下橋、

まだ余裕 。

先頭が私です。

クリックすると大きな画像が見れます

 

冷たい雨、重たくなった足。まだまだ遠いゴール。

 足の痛みは毎度のことだが、腹筋の疲れは初めて。どしゃぶりで体は冷え切り、痛みは全身に広がる。体はとうに限界を超え、完走の望みだけが足を運ばせていた。

 それでも 不思議なことに87キロ前後、平野さんの知合いで前日お会いした森吉さん が待ち受けている前後 3キロほどはスピードが上がり、これだったら12時間内も可能かと甘い考えが頭をよぎる。

 しかし体は正直だ。あと10キロで途端に足は重くなり、スピードなぞ無縁の世界。次々抜かれても抜くことはない。「早く体を温めたい」「布団で横になりたい」、ただそれだけである。時には「あ〜ぁ、なんで走ってるんだろう」「好きだからだろう。」と自問自答を繰り返す。いつしか辺りは真っ暗になり、つらい時間が延々と続く 。

 しかし前に進む限り、終りは近づく。ゴールの中村高校に続く坂道に入ると両脇の人だかりも二重、三重となり、やっと安堵感を覚える。門をくぐり、聞こえてくるアナウンスの声にしんどかった100キロのフィナーレを感じる。自分のゼッケンと名前を耳にしながら、私はにっこり笑ってテープを切り、完走のメダ ルをかけてもらった。

 体は冷え切り、筋肉痛で靴を脱ぐのも、移動するのも時間がかかる。体育館に暖房の設備はなく、体が温もるだけの着替えも準備して いない。横になったものの、悪寒が走り、あぁ風邪のひきかけだと情けなくなる。茨木から参加した奥代さんが長めのアンダーシャツを貸してくれ、毛布もかけていただき、なんとか風邪はひかずに済んだ。

 ちなみにタイムは12時間47分だった。なお公式タイム12時間48分01秒、433位/非登録の完走者725人中(制限時間14時間)

クリックすると大きな画像が見れます      感激のゴール

2001年10月21日 午後5時48分

 丸一日走るウルトラマラソン。金をかけてしんどい思いをする。本来参加すべき新社会党の行動も休み、最高の贅沢を味わった23日の旅となった。

 誘ってくれた平野さん、シャツを貸してくれた奥代さん、一緒に走ったランナーの皆さん、土砂降りの中、ランナーを支えてくれた地元のサポーター、大会関係者の皆さん、そして四万十川と自然に感謝します。お世話になりました。