朝の5時半、まだ暗い中をスタート。車のライトがコースを照らす。10キロ手前ぐらいから標高600m の峠越えにかかる。この登りと下りはせせらぎを横目に見ながらの走り。調子も悪くない。降り始めた雨は下るころからだんだんと本降りになっていく。 40キロ、フル (42.195キロ)の標示があり、さぁこれからは未知の世界と気を引き締める。このころはまだ元気だった(と思う)が、その後の急な登りは歩くことしかできないほど、がたがきていた。 |
左端に私、その後に平野さん |
| 給水所には水、お茶、スポーツドリンクの飲み物以外に、バナナ、チョコレート、みかん、パン、おにぎり、味噌汁、エビ、飴玉、氷砂糖、塩、梅干が並べられていた。まさにオアシス。沿道の 民家でも食べ物、飲み物をいただく。本当に感謝である。 100キロ走れば体重が減りそうなものだが、 私はほとんど変わらない。食い意地だけは疲れていても健在だったようだ。 |
楽しみは62キロ にあるカヌー館。ここで着替えて一休み。 後半に入ったが、すでにまともな走りではない。ともかく歩き、手を振って走る格好をする。おかしなもので少しは走れるようになり、スピードもでてくる。給水所で休憩するたび、足は再び硬直、歩き出し、また手を振るところから繰り返す。これが最後まで続いた。 |
四万十川といえば沈下橋、 まだ余裕
。
先頭が私です。 |
冷たい雨、重たくなった足。まだまだ遠いゴール。 | 足の痛みは毎度のことだが、腹筋の疲れは初めて。どしゃぶりで体は冷え切り、痛みは全身に広がる。体はとうに限界を超え、完走の望みだけが足を運ばせていた。 それでも 不思議なことに87キロ前後、平野さんの知合いで前日お会いした森吉さん
が待ち受けている前後 3キロほどはスピードが上がり、これだったら12時間内も可能かと甘い考えが頭をよぎる。 しかし体は正直だ。あと10キロで途端に足は重くなり、スピードなぞ無縁の世界。次々抜かれても抜くことはない。「早く体を温めたい」「布団で横になりたい」、ただそれだけである。時には「あ〜ぁ、なんで走ってるんだろう」「好きだからだろう。」と自問自答を繰り返す。いつしか辺りは真っ暗になり、つらい時間が延々と続く 。 |
しかし前に進む限り、終りは近づく。ゴールの中村高校に続く坂道に入ると両脇の人だかりも二重、三重となり、やっと安堵感を覚える。門をくぐり、聞こえてくるアナウンスの声にしんどかった 100キロのフィナーレを感じる。自分のゼッケンと名前を耳にしながら、私はにっこり笑ってテープを切り、完走のメダ ルをかけてもらった。 体は冷え切り、筋肉痛で靴を脱ぐのも、移動するのも時間がかかる。体育館に暖房の設備はなく、体が温もるだけの着替えも準備して いない。横になったものの、悪寒が走り、あぁ風邪のひきかけだと情けなくなる。茨木から参加した奥代さんが長めのアンダーシャツを貸してくれ、毛布もかけていただき、なんとか風邪はひかずに済んだ。 ちなみにタイムは12時間47分だった。なお公式タイム12時間48分01秒、433位/非登録の完走者725人中(制限時間14時間) | 感激のゴール 2001年10月21日 午後5時48分 |
丸一日走るウルトラマラソン。金をかけてしんどい思いをする。本来参加すべき新社会党の行動も休み、最高の贅沢を味わった2泊3日の旅となった。 誘ってくれた平野さん、シャツを貸してくれた奥代さん、一緒に走ったランナーの皆さん、土砂降りの中、ランナーを支えてくれた地元のサポーター、大会関係者の皆さん、そして四万十川と自然に感謝します。お世話になりました。 |