茨木市議会議員 山下けいきHP

走った記録 B 2007〜  記録@ 記録A

年月日大会名  ○の数字はその大会の通算参加回数

種目  数字は完走回数

タイム(ネット) ひとこと
2011/12/23 加古川マラソン フル・41 3時間39分57秒 初めての加古川マラソン。着いてからスタートまでの時間に余裕がなくバタバタとゼッケンを付け、荷物を預けて並びます。河川敷コースだけにコースは淀川マラソンを、寒さと風は木津川マラソンと似通っています。ただ路面の硬さと凹凸は堪えます。靴を厚底にしたのは正解でした。

 いつも前半を飛ばし後半に失速するのが多いので、前半は自重。それでも20q前後はq5分20秒前後までペースダウン。ただそれ以上の落ち込みはなく、25qぐらいになるとなんとかイーブンペースで最後まで行けるのでは希望が湧いてきました。30キロぐらいから抜かれるより抜く方が多くなり、なんとか3時間40分前後が見えてきました。ラスト1qは4分台にスピードを上げて3時間39分57秒でゴールできました。

 途中で大阪ミントJCの歌姫さんとすれ違い、RUNNERS9の会の丸山さん、尾方さんからは励ましをいただきました。

 加古川マラソンで3時間20分を切るのが今年当初の目標でした。しかし春から足底筋膜炎、シーズンに入ってからの腰痛と故障が続き十分な練習ができないままでした。腰痛を抱えての神戸マラソンから1カ月、きちんとした練習はできませんでしたがなんとか3時間40分を切れて、95点の満足する結果です。

 ゴールの後で顔など体表は塩分でザラザラでした。それはよくあることなのですが、着替えのころから左ひざに痛みが・・・。膝の痛みは初めての経験。会場からずっと左足をかばっての歩きになりました。痛みが残らない故障だったらいいのですが・・・。
2011/11/20 神戸マラソン@ フル・40 3時間56分36秒タイムは全てネットタイムです 先日の淀川マラソンと同様の調子で25キロまで通過、ただここ1週間走れていなかったこともあり、それからはスピードが鈍り、途中から4時間以内に目標を切り替えてのラン。ポートアイランドに向けての坂はさすがにきついものがありましたが、35キロからはキロ6分以内のペースを維持し、感動のゴールを迎えました。
 スタート地点に立てたら70点、完走したら80点、4時間以内だったら90点と思っていましたので3時間56分は92点でしょうか。3962/20096
2011/11/6 大阪・淀川市民マラソンI 

 

フル・39

3時間48分32秒、

429位/5034

大阪・淀川マラソン、守口がスタート・ゴール地点になって2回目の大会。今シーズンは四万十川ウルトラマラソン完走が一つの大きな目標だったので、達成して気分的には楽な感じで迎えた大会です。次の目標は初めての加古川マラソンで記録にこだわりたいと思っています。10月は何かとイベントが続いたので集中した練習はできないまま、今の自分の持てる力を出せたら十分です。前半は1qを5分10秒のペース。23キロぐらいでしょうか、話しかけられて5キロほどしゃべりながら並走。その後は徐々にペースダウンしました。

 今年2月の木津川マラソンの悪夢(4時間2分09秒)が頭をよぎりましたが、そこまで落ち込まなかったのは、四万十川ウルトラマラソンの自信が支えてくれたからでしょうか。エイドでは立ち止まってエネルギーを補給し、歩くことはなく、最後まで走りきることができました。途中の小雨は気持ちいいぐらいのもので気になりません。ゴール寸前で高橋尚子さんのハイタッチサービス、にっこり笑ってゴールできました。へとへとまで走れなかったのは靴のせいかもしれません。軽いのはいいのですが、ハーフを過ぎてから足への衝撃が気になりました。少々重くてももう少し衝撃を受け止める靴がいいのかもしれません。

 タイムは3時間48分32秒で、昨年より15分もオーバーしました。なお順位は429位/5034人
2011/10/16 四万十川ウルトラマラソンA ウルトラA 13時間00分21秒 5時半に蕨岡中学校をスタート。後半の失速をできるだけ避けようと前半からゆっくりモード。今回も練習不足ですが前回よりは走りこんだ自信もあります。できたら前回よりもいい記録でと思う一方、フルマラソンの42キロを超えたら良しとしようの思いまで・・・。走りながら煩悩の世界にはまっていきます。

 ところがペースを確認するためのストップウォッチが動いていない。気付いたのはスタートしてからだいぶ経ち、ほのぼのと白みかけたころ。号砲とともにストップウォッチを押したはずですが押していなかったのか弱かったのか。初めてのハプニングです。ただ5時半のスタートだったので所要時間はそこから計算、10キロ地点からストップウォッチでラップ計測してペースを確認しました。

 10キロ付近の上りで京都キャロットの藤井さんを発見、21キロ過ぎの前半最大の山場となる最高地点の峠まで世間話をしながら並走しました。それからは一人旅。40qを過ぎると60qコースのランナーと合流してにぎやかになります。ミントの女性メンバーは集団でのラン。面白いことに幾度となく抜いたり抜かれたりとなります。ミントのメンバーだけでなく多くのランナーともそうで、こんなにも抜いたり抜かれたりが多いと感じたことは初めて。フルマラソンでも大抵、差は広がる一方になるもので、ここが100q・長丁場の持ち味なんでしょう。山あり谷もありと調子が大きく変化します。

 10年前はスタートしてからゴールまでずっと雨、しかも途中からは大雨状態。それに比べたら今回は晴天で四万十川の清流を十分に楽しむことができました。前回は何も持たなかったのですが、今回はデジカメと自販機用の小銭を持っての走りで少しだけ余裕を持って楽しみながらのラン。それとミントメンバーなど知り合いが増えて声をかけたりしゃべったりと変化があります。その分タイム的には遅くなりますが、時間内に完走できれば上出来です。

 ペースが上がったのは40qから50q、沈下橋を過ぎた峠は歩く以外ないほどの急坂で、ここぐらいからだんだんと足に堪えてくるのが分かります。走り方も乱れ、靴がもう一方の足首にあたり擦り傷で両足首がヒリヒリ、脇下、股下も擦り傷の痛みが走ります。それでも前回のような苦痛を感じなかったのはミントメンバーと一緒に走る時間帯があり、気が紛れたせいかもしれません。それと前回はほとんど雨、四万十川の自然が苦痛を和らげてくれることもありませんでした。

 後半はエイドステーションのたびごとに冷水を頭や太ももにかけて体温を下げました。多くのサポーターに感謝です。特にまだ暗いうちから沿道で応援してくれるのには頭が下がります。そんな人情と自然に感謝しながらのウルトラマラソンでした。

 前回よりも早くゴールしたいと思ってのスタートでしたが、徐々に厳しくなりました。それでも残りの5キロではなんとか12時間台の確信があったのですが、待っていたのが中村高校前の坂道。ゴールした時の計時は13時間を過ぎていました。
2011/2/6 京都木津川マラソンC

フル・38 4時間2分 09秒

総合 529位/1790

50代 105位/387

 昨年よりはずっと温かかった木津川マラソン。
 風邪症候群で体調が今一つの状態が続き、結局2月は走れないままでした。しかし前半20キロを1時間35分余で通過。3時間25分を十分切れるはずでした。
 昨年走れなくなり3分余り休憩した27キロ地点もスピードは落ちたもののなんなく通り過ぎたのですが、それ以降はめっきり足の疲れ、ガス欠状態。ともかく疲労困憊で、タイムはあきらめ完走記録を伸ばせたらよし、別に楽しているわけではないと自分に言い聞かせて走りました。エイドではたびたび休憩、バナナ、パン、飴玉、各種ドリンクで力をもらいました。なんとかゴールしましたがタイムは4時間2分09秒と、2007年の篠山マラソン以来のワーストタイム。
 直前の風邪症候群、1月はハーフマラソン中心で長い距離から遠ざかっていたこと、1キロ4分50〜55秒前後と計算していましたが、20キロまでは4分45秒平均で飛ばしてしまったことが原因です。ハーフマラソンを身体が覚えていて、頭の計算を無視して暴走したといえます。
 やはりマラソンは一筋縄ではいきません。昨年11月の福知山で3時間25分台で走った時は実に楽に走れたものです。しんどい思いを教訓にまた頑張りたいものです。
2011/1/23

高槻シティ国際ハーフマラソンE

ハーフ32 1時間31分01秒

第85位(申込者1658人中)

NHK「てっぱん」の駅伝君こと滝沢薫役の長田成哉さんがゲストでくるのも楽しみに大会に参加しました。あかり役の瀧本美織さんも参加され、てっぱん踊りで盛り上げてくれました。
 絶好のマラソン日和で、順調なスタート。折り返しまでは1時間30分を切るラップでしたが、後半やや失速し、結果は昨年より1分30秒程度時間はかかりましたが、いっぱい応援をもらい楽しく走れました。市の職員さんも参加や応援で来られていました。
2011/1/17 茨木市民マラソンC

10qD  

43分17秒、

 

年代別(50代)で第3位

この冬もっとも寒い1日でした。10キロレースは高校生、一般、男女別、年代別と分かれていますが、同時スタートです。
 まあまあのウォーミングアップはしたのですが、冷気を吸い込むせいでしょうか、スタートしてからしばらくは呼吸が落ち着きません。左足もひきつけの気配があり、慎重に走りました。それでも後半はいつもの走りに戻りました。年代別3位は去年と一緒でしたが、タイムは昨年より1分40秒余り悪い43分17秒でした。
 寒すぎたことと昨年より練習不足、体重もいまいちが原因でしょうか。1週間後の高槻国際ハーフマラソンは昨年の記録(1時間29分台)更新は無理かもしれません。それでも58歳最初のレースを無事に走りきれたことはありがたいことです。
2011/1/10 ひらかたハーフマラソンD ハーフ・31 1時間31分53秒

総合92位(申込者1661人中)

年代別10位/277人

今年最初のマラソン大会となった枚方新春ハーフマラソン。昨年一月の高槻ハーフの1時間29分台が念頭にありましたが、体重は落ちないままで12月の練習量も昨年の半分以下、どれぐらいではしれるか分かりません。身体の調子を見ながらの走りを心がけました。10qが42分56秒で、その後もなんとか落ち込むことなく、持てる力は出し切りました。タイムは今一つ。高槻ではなんとか昨年並みのタイムを出したいものです。
2010/11/23 福知山マラソンH

 

フル・37 3時間25分43秒 2週間前の淀川の教訓として30キロまではジョギング、それ以降がマラソンと何度も頭で反芻しての走りでした。
 
 足は重くも軽くもない感じでキロ5分を少々切るスピードで25キロまで。極めて順調です。それでも30キロに向けての5キロで足が重たくなってきたら要注意、スピードダウンして後半に備えなければなりません。自重しての走りでしたが、一方ではいける感じもあります。実際はこの5キロが一番スピードが出ていたかもしれません。

 30キロを超えてもう大丈夫、今の力を出し切ろうと気持ちを切り替えます。これからは追い抜くのが8割、追い抜かれるのが2割になりました。35キロを超えるともう30分を切るのは確実、ひょっとして初マラソンの26分台もと目標を上げられる順調な走りです。最後の難関こそ6分に近かったかもしれませんが、全コースの9割方、キロ5分以内で走り通せたように思えます。

 タイムは3時間25分43秒で、15年ぶりの好記録となり、初マラソンと同等でした。疲れは最後の急な登り1キロ余りだけで、もっとも楽な大会だったかもしれません。賢い走り方があるんだと学んだレースでした。

2010/11/7 大阪・淀川市民マラソンH

 

 

フル・36

3時間34分7秒、

総合384位/5194名

 目標はキロ4分55〜59秒で3時間30分を切ること。30キロまでは実に順調。平均で4分55秒でまとめていたのですが残り10キロ余りの折り返しを過ぎてからスピードはがくっと落ちます。30キロを過ぎてからがマラソンとはよく言ったもの。しばらくは5分強だったものが6分ぐらいかかり、更に落ちていきます。最後のエイドでは立ち止まっての給水とミカンとなりました。残り3キロ、2キロが何ときついことか。残り1キロは夢遊病者のようにときどき目をつむっての走りでやっとゴール。

 それでも歩くことなく走れたのは、練習の成果なのかもしれません。ゴールした後の顔は吹き出た塩でザラザラ、腕や足までも塩が吹き出ていて身体にはかなりの負担だったことを物語っていました。身体のどこが痛むということはないのですが、ともかく疲労困憊、歩く元気はなくしばらくは座り込んだままでした。

 うれしかったのは金メダリスト高橋尚子さんとのハイタッチ。2回目はゴール間近で何があってもどうにもならない状況でしたが、1回目は大きな元気をもらい、ペースが上がったものです。

 なおタイムは目標から程遠い3時間34分7秒、総合384位/5194名でしたが、昨年に比べれば8分余りも短縮、この大会の自己新記録でした。シーズン初めとしては上出来だと納得して次の福知山での目標達成に切り替えます。
2010/5/23

 

 

小豆島オリーブマラソンO

 

ハーフ・30

1時間36分27秒

239/2879(総合)

39/431(年代別)

スタートしてからしばらくは足の痛みが出てこないか、それだけです。3、4キロ走り、とりあえずは大丈夫。痛くなったらそれはそれで対処したらいいと考えて、目標タイムの設定、5キロで4分20秒/1qを10秒ほどオーバーでした。

 これ以降は練習不足がどう響くかだけでしたが、徐々にペースは落ち、追い抜かれる一方。こうなるとなかなかつらいものがあります。それでも持てる力だけは出し切ろうと最後ののぼりに。一昨年はここで亡くなられた北田さんが応援してくれていたなぁと思い出しているうちに残り一`。いつものラストスパートは体力の限界と足に過度の負担を避けるため今回はなしで粛々とゴール。

 タイムはまあまあで、これでなんとか練習も再開できそうです。
2010/3/7 ABC篠山マラソンD フル・35 3時間33分43秒  予想通り小雨に打たれながらレースとなりました。1`ぐらいの所で「ブログ見てますよ」と声をかけられました。原 和美シャツが目立ったのかな。一昨日職員の方から「山下さんのブログ見ている人多いんですね」と言われたことを思い出しました。気分を良くして走っていたら、何やら華やかな雰囲気が、見たら大会ゲストの有森裕子さん。さすがにランナーや沿道から声がかかります。 

 今日は木津川マラソンの失敗から、前半は`5分で走り、ハーフ過ぎてからは体調に合わせて余裕があればスピードを上げるというもの。これが功を奏し、30`まではほぼイーブンペース。終盤の残り10`はさすがにへとへとでしたが、それでも`5分台は維持できたようで大崩れすることなくゴールに。途中びっくりしたのは60歳を超えた知り合いのTさんが楽々と最終盤走っていたこと、60過ぎてもいけるんだと励みになりました。

 冷たい雨に打たれたものの、今回初めて着用したロングタイツの効果でそれほどの寒さは感じませんでした。エイドで立ち止まることもなく、しし汁の誘惑に負けることもなくスポーツドリンクと小さな飴玉だけで走れたこともあって3時間33分台のタイムになりました。3時間30分の目標は達成できませんでしたが、議会もあっての練習不足、冷たい天候を考えれば満足です。福知山マラソンに比べて、いつもしんどくてタイムも格段に悪い篠山のトラウマから脱却できそうです。
 3時間12分59秒の記録を出した95年の福知山マラソン以降で、最もいい記録です。

2010/2/7 京都木津川マラソンB フル・34 3時間39分01秒

 

久しぶりの京都木津川マラソン。2月の初旬と言えばもっとも寒い時期で、バイクで高槻、枚方を経由して京田辺市の会場に着きましたが、途中昨日の雪がところどころに残っていて路面の凍結に注意しながらの走行となりました。

 今日は最低でも3時間半、できたら25分が目標でした。前半は極めてスムーズ、25分はもちろん、ひょっとして20分台の前半も十分可能性があるほどの快調ぶりでした。しかしこの意気込みが前半のハイペース(1qを4分40秒前後のペースでしょうか、20qで1時間34分余り)となり、それ以降は1qが5分となり、5分15秒と落ちていきます。
 
 ついに26qのエイドで3分ほどの小休憩をとってのエネルギー補給となりました。徐々に上がると期待した気温は一向に上がらず短パンの下半身は河川敷の寒風で硬直し、最悪の状態に。まるで1q6分前後のジョギングになりながらやっとゴール。記録は最後の踏ん張りでなんとか グロスで3時間39分8秒、237位、ネットタイム3時間39分01秒、第241位(1860人中)でゴールできました。
2010/1/24

高槻シティ国際ハーフマラソンD

ハーフ29 1時間29分53秒

 

男子40〜59歳の部では

第63位(申込者1413人中)

久しぶりのハーフマラソン、そして57歳になって初めての大会。昨秋からの走りこみ、福知山、いぶすきのフルマラソン、先週の10qのタイムから、目標は1時間半、悪くても1時間33分と決めてスタートラインに。

 途中から以前走ったコースではなく、新しいコースに変更になっていました。1キロが4分26秒と遅かったものの、徐々に想定のペースに持ち込めるだろうと焦りはありません。5キロまでの距離表示は目についたのですが、次に目に入ったのは10キロと折り返し。折り返しが44分台で、これなら目標もいけるとペースを維持することだけ心がけました。その後の距離表示とタイムを見比べて自信は強くなったのですが、最後に思いがけない場面がやってきました。

 なんとストップがかかったのです。残り1キロの表示を過ぎて、最後の力を振り絞るところ。交通量の多い道路で急に車優先になり、ランナーは立ち往生。「おいおい、殺生や」の声が上がりましたが当然です。「今、どれぐらいですか」と聞かれて1時間28分です」と答えましたが、ほとんどが1時間半を意識しているのがわかります。

 それだけこのロスは想定外でなんとも言えないものでした。どれぐらい経ったでしょうか。私の場合おそらく30秒前後だったでしょうか。車が一段落し、今度はランナー優先に。たまったランナーが一斉に飛び出していきます。
 後からプログラムを見たら「交差点では走路員の指示に従ってください。車優先の場合あり」とありましたが、このようなコース設定しかないのか見直しを願いたいものです。

 競技場手前で29分丁度ぐらい。残り200mなのでなんとか目標達成できると安堵しました。結局、もらった完走証の記録は1時間29分53秒でした。
2010/1/17 茨木市民マラソンC

10qC  

41分41秒、

年代別(50代)で第3位

気持ちのいい天気で身体も快調。とりあえず練習が今までよりはできているので目標は42分30秒でスタート。ほとんど苦しさのないまま最後まで走れました。ラストが一周してのゴールだと思い込んでいてそのままゴールだとわかった段階では時すでに遅しで、ラストスパートはできないままでゴール。それでもタイムは41分41秒で大満足です。来週の高槻ハーフマラソンは一時間30分が目標になりそうです。なお市民マラソンのこれまでの記録は2006年の43分23秒、1999年の42分49秒 、16年前(1994年)の39分19秒
2010/1/10

 

指宿菜の花マラソン@

フル・33

 

 

3時間37分01秒

50代男子の部で

74位(1767人中)

全体で467位

(17197人中)

 今日の目標はとりあえず3時間30分。ただ初めての大会で、高低差も100mと坂道もきつそうなのでタイムにはそれほどこだわらず、楽しめるところは楽しんでと思ってのスタートでした。

 前半から何度も繰り返すアップダウン、それでもハーフ地点は3時間26分も可能かと思えるほどの順調さ。幾度か来たこともあって見覚えのある池田湖畔は感動的でした。ここを登り、今度は緩やかな下りに入ります。菜の花畑がきれいで、開聞岳も真正面に見えます。鹿児島を走っているんだとうれしくなります。ほんとにすばらしいコースです。走りも快調そのもので枚聞神社間までの10qは4分45秒/qぐらいにペースアップしていました。

 失敗しても行けるところまで行こうと気分は高揚していました。しかし幾度か繰り返されるアップダウンで25qからは厳しくなってきます。ここからが我慢のしどころ。前方に双コブの山が見えて来る時点ではスピードが鈍ってきます。 山川港に下る急坂は実にこたえます。下った後のエイドではゆっくりと飲み物、バナナなどで補給、最後の10qに備えます。ここぐらいからは6分/qに落ちているのが分かります。距離表示が5q毎のため、どれだけ走っているのか、ペースがどれぐらいなのか分かりません。30q過ぎぐらいからは1q単位であればありがたいと思ったのですが・・・。

 36kmを過ぎから最後の登り坂(ここが最後とは走っている時は分からなかったのですが・・・.)に。後は平坦とはいえ堅そうなコンクリート道、何とか5分台/qの枠でと最後の踏ん張りです。「後1500m、がんばれ」の声援の後に40qの表示が現れ、一喜一憂しながらゴールの競技場に。

 タイムは3時間37分01秒、50代男子の部で74位(1767人中)、全体で467位(17197人中)で、アップダウンの多いコースを考えれば上出来かもしれません。

 ゴール後の食券はおにぎり2個、うどんorそば、ぜんざい、蒸したサツマイモでこれだけのボリュームのある大会は初めて、会場には温泉水の足湯も準備されていてありがたかく浸かってきました。
2009/12/26 駅伝カーニバル@ 3000 12分25秒 国会へのアピール54日間連続マラソンの後で故障しないよう心がけてのスピード走、呼吸器官が驚いていました。
2009/12/21〜24

国鉄分割民営化での1047名解雇問題の解決を求めて

国会へのアピール54日間連続マラソン

フル・29・30・31・32

9時前にスタート、午後2時台にゴール

 

11月と同じで9時前にスタート、2時半ぐらいまで走りました。

国会の周りを4周して小休憩し、これを8サイクルするとフルマラソンの距離になります。最終日は民営化以降亡くなられた方が企画時から5人増えたこともあって、5周追加して48qの走りとなりました。不当な首切りの責任を政府・JRは一刻も早く取ってほしいものです。

2009/11/23

福知山マラソンG

 

 

フル・28 3時間34分02秒  スタート地点では新たな気持ちで出発を待つのですが、タイムについては自信がありません。ここ一ヶ月間太ももに疲れを感じており、睡眠不足とこちらに着くまで立ちっぱなしだったことで更に重たさが募ります。一方で距離をこなしてきた自信もあります。スタートしてから25qまでは、この不安と自信の交錯を繰り返しながら1q5分のペースを目標に走りました。

 25q以降になると持てる力を出し切ることに集中、足の重さを手の振りや上半身の軽さでカバーしました。

 35q以降はいつもは長く感じられるのですが今日はなぜかもうここまで来たのかと思うほどに短く感じられました。そして最後の関門となるゴールまで続く約1qの坂道に。なんとか追い抜かれるより追い抜くペース登り切り待望のゴール。何とか1qを5分のペースで走り切り、記録は3時間34分02秒の好タイム。1995年の自己新記録(3時間12分59秒)以降で最もいい記録となりました。
2009/11/10〜12

国鉄分割民営化での1047名解雇問題の解決を求めて

国会へのアピール54日間連続マラソン

フル・25・26・27

9時前にスタート、2時半ぐらいまで走る。

国会の周りを4周して小休憩し、これを8サイクルでフルマラソンの距離に。3日間走りました。

唐の第2代皇帝・太宗の名臣・魏徴(ぎちょう)の言葉に「人生意気に感ず、功名誰かまた論ぜん(人生は人間同士の意気に感じて事を為す。功名などは問題ではない)」があります。

 中野さんの「一人でも自分の道を行く、できるかどうかわからないが挑戦する、国家の不当な首切りによって路頭に迷わされた国鉄労働者の無念の思いを抱きながら走る」姿に共感し、一緒に走りたいと思っての国会前フルマラソンアピール行動への参加です。
2009/11/1 大阪・淀川市民マラソンG

フル・24 3時間42分54秒 スタート時はまったくの晴天で残暑を思わす暑さ、水を必ずとるよう心がける。2年ぶりのフルマラソンで、30キロからの後半は自信がなかった。そのため前半は自重して後半に一定のスピードで走れるように心がける。20キロからは追いつかれるよりも追い抜くランナーが多くなった。30キロを過ぎても5分20秒/q前後のスピードはあり、エイドでの給水以外は足を止めなくても走れた。途中応援に来られていた大阪ミントJCの皆さん、知人と声をかけあう。昼から雨の予想通り、ゴール前からポツポツと降り始め、その後は夕立ちの強い雨に。タイムはタイム3時間43分6秒、(ネット3時間42分54秒、順位181位 総合順位192位/申込み数3316)で、この大会の自己新記録となりました。9月に初めて月間200キロ、10月が175キロと私としては走りこめたのが良かったようです。マラソンシーズンの幕開けとしては幸先良いスタートとなりました。応援してもらった皆さんありがとうございました。
2008/7/6

反核平和マラソン@

36キロ

8時に島本水無瀬駅スタート、午後1時半大阪城にゴール

島本→高槻→茨木→吹田→大阪市→守口→大阪→大阪城の36キロ。気温34度で炎天下のマラソン。
2008/6/25

反核平和の火リレー21

25キロ

9時に茨木市豊川スタート、午後4時前に島本町役場ゴール

茨木市豊川→茨木市役所→高槻市役所→島本町役場。RUNNERS 9の会のメンバーの方など初参加もあって盛り上がりました。
2008/5/24

 

 

小豆島オリーブマラソンN

ハーフ・28

1時間34分51秒

当初曇りがちだった天気も徐々に晴れ間を増し、いつもの暑いオリーブマラソンになった。今年前半は体調を崩し、この2ヶ月でなんとか走れるようになった。少し減量もできて期待感をもってスタート地点に立つ。イーブンペースを心がけキロ表示の場所でペースをチャック。最後に控える最難関の坂。ここで既に5キロを走り終えた 北田さんの声援を受け、一気に駆け上がる。後は1キロ余りの下りと平坦コースだけ、最後の力を振り絞りゴール。タイムは1時間34分51秒、50才代男子(400〜500名参加)で35位の成績。1時間35分をわずかだが切ることもでき満足な結果となった。
2008/5/11 2008 安威川袖ふれあい駅伝 4000m 16分22 快調に走れました。ミント秋のチームで参加
2008/5/12〜13 鹿児島・憲法9条ランと南薩摩一人旅      鹿児島国分から鹿児島市役所間の23キロ程度、錦江湾、桜島を左に見ながら走る。翌日は指宿から枕崎まで、指宿市内を10キロ近く走った後だったので疲労困憊に。この日の走りは60キロ前後か
2008/4/27 茨木市民陸上大会 5000m 20分35秒15 高校生に混じって5000mを走る。5000mの大会はここ10年以上走っていない。とりあえず1キロ4分30秒で、22分30秒で走りきろうと思っていた。ところが、最初からハイペース、設定した時間はすっ飛んでしまい、あと何周だけを頭に入れて走る。タイムは20分35秒15で極めて満足。足を痛めることはなかったが無理な呼吸で鼻腔に無理がいったためにくしゃみが出てきた。前後に陸上関係者や引率してきた高校教員、一緒に走った方々と世間話。「私らが万博の競技場で走れるなんてこんなうれしいことはない。甲子園みたいな場所ですわ」の言葉が印象的だった。
 
2008/2/9〜10 鹿児島・憲法9条ラン 2月     南さつま市役所から日置市への区間、ただ足の調子が悪く10キロ程度しか走れなかった。
2008/1〜3 走れなかった大会     枚方新春走ろう会、高槻ハーフマラソン 、木津川マラソン、ABC篠山マラソンと申し込んでいたが、風邪が長引いたのか咳が取れず全て参加できず
2007/12/23 宝塚ハーフマラソンA ハーフ27 1時間36分04秒 体重が68キロを少しオーバー、福知山マラソンの時より1キロ以上増えていた。途中でトラブルさえなければ36分30秒ぐらいかなと思って走る。一応キロ4分30秒を目安にしてなんとか最後まで走りきる。
ゴール後、柔道整復師会の皆さんがボランティアで故障気味の人も含めてケアしてくれていて、私も痛みの出た左アキレス腱にテーピングしてもらう.。ありがとうございました。
2007/11/23 福知山マラソンF フル23 3時間37分54秒 スタート前のトイレは長蛇の列だが、「またトイレで一緒ですね」と高槻のMさんから声をかけられる。Mさんは昔の活動家仲間で高校教員。体育館前でHさんと会い、ここで着替え。ゼッケンをつけようと思って迷った。例年寒くてビニール袋をかぶってスタートする。もちろん長袖シャツだ。ところがそれほど寒くない。半袖がベストなのだが入れてなかったためにランニングとなった。スタート地点ではミントのIさんが偶然後に、Iさんは視力障がい者の伴走をされていた。

 1`を5分0秒から5分10秒ぐらいの落ち着いたペースを心がけて走る。問題は後半。特に30`地点でどれぐらいの余力が残っているかだ。中間点が1時間47分30秒ぐらいか。ここまでほぼ思ったようなレース展開。中間点から5`ほども心配だったが無難に過ぎる。27`位から34`まで`5分ジャストが続き実に調子がいい。これまでなかったことだ。

 途中ブラスバンドの演奏するZard の「負けないで」のメロディでは頑張れる自分に感動して(?)感極まった。これもなかったこと。ここまで来ると昨年並みのタイムを確信、後はどれだけ粘るかだ。残りの6キロほどになると5分20〜30秒に落ちてくる。難関はゴール手前の1`あまり続く急勾配の坂。頭をふりふり、目も時々つむりながら最後の力を振り絞り駆け上る。平坦になった途端ゴールはそこ、ダッシュで飛び込んだ。タイムは3時間37分54秒でここ10年でもっともいいタイム、100点満点のレースとなった。
2007/11/4 淀川市民マラソンF フル22

3時間52分24秒

昨年とほとんど一緒の走りで今回も25キロまでは実にスムーズ。20から25キロはキロ5分を切るペースとなり、練習してないのにどうしての一方で、ラッキーと思っていたのに身体は正直。27キロぐらいからペースはがくんと落ち、3時間30分 台どころか、3時間40分、50分と目標は下がる一方。結局昨年より1分悪い記録でゴール。身体はどこもかも塩だらけ、練習不足の表れです。おにぎりとトン汁、お汁粉2杯、焼き餅(あん入り)、かき氷を口にして徐々に動けるようになりました。
2007/5/27 小豆島オリーブマラソンM

ハーフ26

1時間36分47秒

小豆島オリーブマラソン は30回の記念大会。月間100k程度の走りこみで練習不足。それでも1`4分30秒、タイム1時間35分を目標に走る。残り6キロまでは順調だったが、最後はペースダウン。それでも1時間36分47秒は上出来といえる。なお50代男子で46位 、総合253位、ハーフ男子総合238位
2007/3/4 ABC篠山マラソンC フル21

 

 

4時間18分54秒

スタートして15キロほどは問題なく走れていたが、練習していなかったツケはキッチリやってくる。25キロでしし汁を口にし再スタートした途端、左足の膝に痛みが走る。顔面蒼白!!こんな痛みは初めて。ここで後半のしんどさを覚悟せざるを得なくなった。走るのをやめてしばらく足をのばすなどストレッチ。どんどん追い越されるがやむをえない。不安を感じながら走り始めるとなんとかいける。しかし一旦足が止まると同じ状態がやってきた。そのたびごとにストレッチし、だましだまし走る。しかも35キロぐらいから、まめができたのか右足が痛い。悪戦苦闘しながらの42.195キロになった。ただ歩いては走り、走っては歩いた去年よりはまだましだ。記録は自己ワースト2の4時間19分。3時間38分を出し、疲労も少なかった4ヶ月前の福知山と比べるとまさに天国と地獄。練習せずに走ることの無謀さは体にしみているはずなのに、また繰り返してしまった。左足のアキレス腱に不安があり練習の意欲がそがれたのが最大の要因、2月は50キロも走っていなかった。
 しかし沿道は温かい。老若男女まちを上げての大歓迎である。しし汁、おにぎり、バナナ、チョコ、飴玉、そしてスポーツドリンクに水、お茶・・・と歓待してくれる。我がミントの吉田さんご夫婦も30キロ手前でエイドスティションを設けていてお世話になる。それにしても暑い一日、おそらく20度を越す炎天下の走り。時計の後がくっきり目立つまで日焼けしてしまった。
 帰りの階段は手すりがなければ歩けない。大阪駅での乗り換えはきつかった。ここ2.3日はリハビリの日々である。
2007/1/21

高槻シティ国際ハーフマラソンD

ハーフ25

 

 

 

 

1時間38分00秒

故障していた左足アキレス腱の痛みは軽くなっていたものの、どうなるか分からない。更にひどくなる可能性もある。かといってここまで来て帰りたくもない。直前まで中止か走るか悩んだ・・・、が走ることにした。おっかなびっくりでスタートするのはこれで2回目。1回目も同じこの高槻の大会。この時は200m走ってすっぱり棄権した。スタートし、そろそろとしばらくは様子を見ながらの走り。2,3キロ走ると、ゆっくりならなんとか最後まで走れるのではの期待がもたげてくる。イーブンペースのマイペースで走りきった。とりあえずは疲労の痛みだけで2週間前の枚方のように足を引きずらずにすんだ。1時間38分00秒、第162位。
2007/1/8 枚方ハーフ、新春走ろう会C ハーフ24 1時間35分42秒  2キロぐらいで左アキレス腱の痛みを感じる。スタート直後から周囲のスピードに合わせたのがまずかったのだろう。ストップするだけの痛みでもないのでそのまま走ることにした。おかしなもので途中からそれほど気にならなくなりイーブンペースで走れた。走り終えた途端、アキレス腱の痛みが強くなり普通の歩き方も難しい。今度の日曜日、茨木市民マラソンは見送る事になりそうで、高槻ハーフも分からなくなった。総合130位/999人、年代別17位/256人

大会記録@はここ 記録A