3・5 |
郡連合自治会が反対署名1972人分を集めて市長に請願書を提出(その後郡連合自治会の中に、建設反対推進委員会を結成)。この頃、建設反対推進委員会が『外国人の吐く唾や疲が雨水に混じってエイズや風土病の原因になる。工場を占拠したりする」などの排外主義的ビラを配る。 |
3・10 |
施行業者の入札(その後契約金の支払いも完了)
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3・23 |
請願書を全会一致で採択(山下市議は請願書の内容が外国人労働者への差別、偏見があることから採決をボイコット) |
4・25 |
建設反対推進委員会が茨木駅前でビラまき。
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6・5〜7・3 |
10回の説明会を少年院二階の会議室で開催。自治会はボイコットし、ほとんど参加なし。 |
6・30 |
市議会で反対推進委員会の「陳情書」を採択。 |
6・30 |
建設反対推進委員会が反対署名13000名分を集めて市長に提出.(新郡山団地自治会も7800名分を集めて提出) |
7・28 |
郡での説明会.住民356名が参加。反対の声(以後、建設反対推進委員会は話し合いを拒否) |
7・30 |
「茨木入管収容所建設問題を考える会」結成。 |
8・25 |
建設反対推進委員会が茨木市の全議員に呼びかけて「懇談会」を開催。 |
9・2 |
「考える会」第1回講演会を開催。講師にRINK事務局長の丹羽雅雄弁護士.参加者60名 |
9・19 |
建設反対推進委員会が「ちょうちん行列」.参加者200名 |
12・5 |
建設反対推進委員会が茨木市の全自治会に署名運動を呼びかける。約20000名の署名を提出(累計で42121名分) |
12・14 |
「考える会」が茨木市の全自治会に「考える会」の意見を述べた資料を郵送。 |
12・17 |
「考える会」が第2回講演会を開催。講師に黒田ジャーナルの大谷昭宏さん。参加者80名。この場で「賛同人署名運動」を呼びかけ。 |
12月 |
建設省が茨木市の都市整備部に建設のための「計画通知書」(民間の場合の建築確認申請にあたる)を郵送。茨木市は地元との話し合いがついていないことを理由に内容証明で返送.以後、建設省は再三にわたって受け取りを要求する。 |
1993年2月 |
建設反対推進委員会が入管局との話し合いに応じる
。(以後、条件交渉に入る) |
2・18 |
茨木市都市整備部が「計画通知書」を受け取る |
3・8 |
茨木市都市整備部が「適合通知書」を建設省に出す(以後いつでも着工できる状態になる) |
3・24 |
「考える会」が茨木市都市整備部と交渉。 |
4・8 |
「考える会」第3回講演会。講師にRINK事務局次長の金築清さん。参加者30名) |
6・!3 |
郡連合自治会役員会で「条件交渉」に転換することを決定。これを受けて「建設反対推進委員会」を解散し、新たに「対策委員会」を設置。7月中にも着工もあり得る情勢に入る。 |
7・8 |
「考える会」が、「高槻むくげの会」青年部長の宋仁泰(ソンインテ)さんを招いて学習会を開催。20名が参加。 |
7・20 |
郡連合自治会への「工事説明会」が開かれる。
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7・23 |
「考える会」が建設反対集会を開催。「牛久入管収容所を考える会」代表の宮崎徹牧師を招く。参加者60名。この頃から実質的工事が始まる。 |
8・21 |
「考える会」が現地調査を行う。参加者20余名。大阪入管局片山次長が立ち会い、現場で説明を行う。 |
9・28 |
「牛久の会」が法務省交渉を行う.「考える会」から山下市議が代表して参加する。 |
10・21 |
「考える会」が大阪入管局と交渉を行う。参加者4名。 |
11・2 |
「考える会」が入管局交渉報告会を開催。
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11・5 |
「考える会」が茨木市に要望書を提出。 |
94 年3・2
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「考える会」が茨木市と交渉を行う。参加者10名。 |
4・10 |
「考える会」が現地調査と花見を行う。参加者10余名 |
7。19 |
「考える会」が高槻市議の二木洋子さんを招いて、第4回講演会を開催。テーマは、日本とドイツの外国人施策を比較して。参加者は約30名。 |
95年3・28 |
「考える会」が、第5回講演会を開催。講師は、飛田雄一さん(神戸学生青年センター館長).テーマは『阪神大震災と外国人被災者』。会場で救援カンパを要請。参加者40名。 |
6・11
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「考える会」が現地調査を開催。参加者16名。 |
9・2 |
「考える会」が講演会を開催。『多発する被収容外国人への、入管職員による暴行事件を考える一入管収容所の中は今?』。講師は鬼塚忠則さん(入管問題調査会代表・弁護士)、宮崎徹さん(牛久入管収容所問題を考える会)、内海和男さん(弁護士)。参加者約30名。 |
10・3 |
「考える会」が大阪入管局と交渉,参加者7名。 |
10・16 |
RINKが大阪入管局と交渉、
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10・17 |
「考える会」とRINKの呼びかけによる「西日本入国管理センター開所にあたって被収容者の人権を考える実行委員会」を開催。13名が参加。
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11・1 |
茨木入管収容所(西日本入国管理センター)が開設。 |
11・7 |
「考える会」・RINK・大阪CPR(監獄人権センター大阪〉・関西CPR(関西監獄人権センター)・多文化共生センター・NAW(アジア労働者情報交流センター・関西)・ヨンデネット大阪の7団体が大阪入管局に申し入れ行動を行う。12月1日の収容業務の開始前に施設の公開を要望。大阪入管局は24目までに返答を約束。
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11・24 |
返答の期限がきても大阪入管局から返答がないため、山下市議が電話で問い合わせ。大阪入管局はもう少し待ってほしい」と返答。 |
11・30 |
産経新聞が茨木入管収容所の内部公開がなされた旨の記事を掲載。マスコミを呼んで公開したことが発覚。
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12・1 |
茨木入管収容所で収容が開始される。 |
12月上旬 |
山下市議が大阪入管局に対して、期限までに返答せず、その一方でマスコミに公開したことに対して抗議の電話を入れ、再度の交渉を申し入れる。 |
1996 年1・10
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「考える会」が大阪入管局と交渉。参加者4名。 |
1・24 |
「考える会」が交渉報告集会と新年会を開催。参加者10余名。 |
2・19 |
「考える会」が茨木入管収容所と交渉。 |