茨木市議会議員 山下けいきHP

 

1993年1月号 窓友新聞

入管収容所なんかつくらずに外国人と暮らせる社会を

90年代○社会

 

大谷昭宏さんの原稿です

 

 明けましておめでとうございます。四年目に入った「90年代O社会」、今年もよろしくお願いします。それにしても新年早々びっくりしました。一月六日の午後八時四十五分を期して日本中を駆け巡った「皇太子妃内定」のニュースです。各テレビ局は申し合わせたようにそれまでの番組を中断して特別番組を組み、新聞各社もあらかじめ用意していたと思われる号外を出すなどの大騒ぎ。

 

 翌朝の紙面には、当然のことながら、「皇太子妃に小和田雅子さん」という大見出しがデーンと一面に。「人権、プライバシーを尊重し、報道を自粛してきました」という「おことわり」。もちろん、皇太子という個人が、初恋のお嫁さんと、結ばれるというおめでたいことに水を差す気はありません。

 

 だけどなんです。雅子さんの家柄がどうの学歴がどうの、宮内庁は、専属の興信所を使って、その人の四代前まできちんと家柄を調べていたなんてことが、何のためらいもなく、新聞の一面を飾ると、はっきり言ってこれはよくないという気持ちです。四代前の人がどんな人であるかによって、その人の値打ちが決まるのでしょうか。おじいさんがどんな企業に勤めていたかで、人間にXがつけられるものなのでしょうか.おめでたいことだから、何を書こうといいというものではありません。こんなことで差別のない社会なんてやってくるもんか。

 第一、今回の日本のメディアは、カッコ悪かったと思いませんか。ご存じのように、小和田さんで決まりという報道の第一報は、「ワシントンポスト」。日本のメディアは報道協定を結んで自らの手足を縛っていたんです。この報道協定は、日本新聞協会が昨年二月、宮内庁からの要請を受けて三か月間だけとの期限つきで受け入れた。ところが期限が過ぎても宮内庁からの再要請に従い、今月の三十一日までズルズルと延ばしていた。その間、マスコミ各社は、報道はもちろん取材も自粛していて報道の使命を自ら放棄していたのです。

 

 別に皇室報道をそれほど大事だと思っているわけではありませんが、日本のメディアは、現天皇が美智子様と婚約内定した時に、同じアメリカの週刊誌「ニューズウイーク」にやられたのに続いて、またしても自らの手で国民に真実を知らすことが出来なかったという厳然たる事実を残したことになるんです。このごとははっきり言って日本のメディアは最後の最後では、読者の側に立つのではなく、宮内庁、言い換えれば、権力の側に立つということを証明したことになるのです。

 

 これは皇室報道がどうのこうのということより、原発でも、PKOでも、国民が本当のことを一番知りたい時には、メディアはその国民の側にきっと立たないだろう、という事実をあからさまにしたということなのです。みなさん、どうかそのことだけはしっかり覚えていて下さいね。

 とまあ、新年早々、○どころかえらくとんがったO社会になってしまいましたが、私たちはそんな浮かれ話とは別に今年も私たちの社会がどんな形の社会であってほしいか、身の回りにしっかりと目をすえて、みなさんと一緒に考えていこうと思います。さて、前々回、昨年十一月号のO社会では「大阪・茨木市の入国管理センター建設問題」を取り上げました。

 少しばかり手前味噌のことを言うとあの時のO社会、ずい分お褒めの言葉をいただきました。市民運動だ、市民運動家だと言うと、いまのマスコミはそれだけで、正義だというような書き方をしているけど、いまの市民運動なんて朝日新聞がなければ、はっきり言って半分は潰れているというあの書き方、よく言ってくれたというご意見を大分いただいたんです。

 少しばかり大胆な書き方をしたので、抗議の声があるのではないかと思っていたのですが、この反響、それはとりも直さず、みなさんが、相当根の深いところでマスコミに対して不信感を持っていることの表れのような気がしたのです。その際に予告した通り、今回は、私(大谷)が「茨木入管収容所問題を考える会」(略称・考える会)からお願いされて十二月十七日の夜、茨木市でお話した内容を紹介したいと思います。ことわっておきますが、私は建設反対、賛成のどちらかについているわけではありません。ですから、講演も「国際化を考える」というテーマでお話ししました。

 その話を紹介する前に、入管センター建設をめぐる現状についてお知らせします。

 入管センターの建設予定地は、茨木市郡山一丁目にある浪速少年院の敷地内。今年に入って茨木市民でもある山田君が訪ねたところ、工事の準備が進められていました。矢野君が、大阪入国管理局に問い合わせると、昨年暮れから始まった浪速少年院の改築工事の準備だそうです。「関西新空港が出来ると、関西の外国人は今の三倍にはなる。入管センター建設は、もうぎりぎりのところまで来ています。今月二十四日の市議会選挙を終えてから、再度地元の方との説明会を持ちますが、あくまでも実務的な協力要請をするつもりです」と、坂中次長。少年院の改築工事と合わせて入管センターも早期着工したいという意欲が伝わってきました。

 

 一方、"ちょうちん行列"をやるなど、入管センター建設を強硬に反対していた「郡連合自治会」ですが、「収容者が吐くタン・ツバからエイズがうつる」という"差別ビラ"をマスコミに取り上げられてから盛り上がりに欠け、この連合会から出された建設反対の請願書を全会一致で採択した市議会でも一部の議員を除いて住環境整備などの条件つき賛成が増えている、それが現状のようです。

 さて、講演会場の茨木市福祉文化会館はJR茨木駅から徒歩五分、茨木市役所の道路を隔てた向かい。この問題を取材した矢野君、山田君も同行しました。年の瀬の押し迫った十二月十七日、いったい何人出席してくれるのか心配だったのですが、会が始まるころには約百人収容できる会場は満杯。この問題に関心を持っている市民はもとより、茨木市以外の人たちも大勢出席してくれました。「センター建設に反対している郡連合自治会から署名が回ってきたが、私自身考えがまとまらず、今回の話を聞きにきたんです」という市内の自治会長さん、「日本で暮らしている外国人の人権問題に興味があって」という主婦もいました。それでは、紙上講演をお届けします。

「アジアの人たちは日本に優し過ぎる」

 

 「私は茨木市の住民ではありませんので、ここにそんなものを絶対作ったらいかんという発言権はないと思います。しかし、結論を先に言えば、入管収容所がなくて外国人と一緒に暮らせる社会が理想だと思います。

 

 『ここにそんなものを作られたら大変なことになる』というのも住民運動には違いありませんが、『入管収容所を作らずに外国人と一緒に暮らせる社会を目指していこう』という運動とは全く性格が違います。この『考える会』が、そんな社会を作ることを目指せたら、と思っています。

 

 私は十二月二十五日からピースボートという船に乗りまして、シンガポール経由でカンボジアに入ります。現在、自衛隊がいますタケオでお正月を迎えようと思っています。私は、一九九二年という年は間違いなく、将来、教科書に載る年だと思います。九二年の日本の政治に何らかの形で参加していた人間は将来、『大バカ者だった』と言われるかも知れないという危惧を持っています。今、国連に百七十一か国加盟してますが、戦後四十七年問、]度も戦争していないのは三十二か国。しかも、PKOを含めて一回たりとも国境を越えて軍隊を派遣したことがない国は、スウェーデン、フィンランド、ノルウェ馨、デンマーク、ブータン、それに日本ぐらいです。特に先進首脳国といわれている中で、戦後、自分の国境線を越えて軍隊を一回も進めたことがないのは日本だけだったんです。しかし、九二年にPKOを出したわけですから、将来必ず後悔すると思うし、もっと言えば、『あの時、新聞記者や、もの書きの連中は何やってたんだ』ということになるとも思います。

 カンボジアに行くのは今回が二度目。前回もピースボートで行ったのですが、その船の中で伺ったシンガポールの頼亜橋さんの話が今も心に残っています。アジア諸国と日本の関係を考える意味でも、頼さんの話を紹介します。

 

 シンガポールでは、五万人が旧日本軍に虐殺されただろうと言ってます。シンガポールは淡路島ほどの所に二百万人が住んでおり、五万人が殺されたのだからたくさんのお墓がシンガポール市内にあった。都市計画を進める上で仕方ないので、そのお墓を潰して合同慰霊碑を作った。頼さんは『そんなこと言ったって、あそこにもここにもお墓があるじゃないかと言うかも知れない。あれは、私たちの仲間を虐殺した当時の旧日本軍の方々のお墓なんです。日本からお墓参りに来た時に、シンガポールが自分の都合でお墓を全部片づけたら、どんなにご遺族の方が悲しむか。ですから、私たちがどんなに都市計画を進めても、日本の皆さんの共同墓地はそのままにしています。

 

 しかし、日本の観光客八十万人のうち、そのことを知って帰られる日本の観光客はまず百人おられないでしょう』とおっしゃっていました。さらに、頼さんは戦後、三十七回も基本法を変えてナチスの行為を謝罪し続けているドイツと日本を比較して、こんな話をしてくれたのです。

 

 ドイツはナチスでユダヤ人を弾圧した人たちの刑事的な時効がくる度に基本法を改正して、それを延ばして、徹底的に追求したんです。そして、ユダヤ人やヨーロッパの人たちにお詫びをした。逆に言えば、ヨーロッパという社会は、そうやってお詫びをしないと認めてくれない社会なんです。

 

 ところが、日本はA級戦、犯の方たちが、一九五〇(昭和二五)年、つまり戦後五年と経っていない時に政界に復帰した。アジアの人たちはそれをどんな気持ちで見てたとお考えですか、と頼さんは切り出し、最後に『アジアの人たちは日本に対して優し過ぎるんですよ』とおっしゃいました。後、で聞いたんですが、頼さん自身、お父さんが旧日本軍の暴行にあって体をボロボロにされていた。頼さんは自分の恨みつらみで言ってると取られたくなくて、自分の体験を話さずに、『アジアの人たちは優し過ぎるんだ』とおっしゃった。私たちの国は、戦争中も、そして戦争が終わったあとも、アジアの人が優しすぎることをいいことにこんなことをして来たのです。

 それなのに、日本がこれだけ豊かになって、その豊かさを求めて外国人が来ると、こちらの茨木で最初に起きた反対運動のように『エイズがうつるんじゃないか』『あいつら悪いことをするんじゃないか』と言う。これは傲慢の上に傲慢を重ねてるのがこの国のやってることだと、私は思います。市民運動はそういう誤りを絶対に犯してはいけない。もし、その誤りをしつつ、この収容所の建設を阻止できたとしても、私はそんな運動は何の優しさもない、何の評価も出来ない運動だと思います。

 

目本で生まれても民族違えば国民ではない

 

 日本で暮らす外国人への排外主義を考える上で、根っこにあるのが私たちの最も身近にいる在日韓国・朝鮮の人たちに対する意識だと思います。そこで次に私がテレビ朝日の『サンデープロジェクト』で取り上げた朝鮮高級学校の高体連加盟問題に触れながら、考えてみたいと思います。

 

 東京朝鮮高級学校の朴君は高校三年生。ボクシングがめちゃくちゃ強いんです。ところが、どんなに強くても、日本は在日朝鮮人の高校生が通う朝鮮高級学校を高校として認めていないからインターハイや国体にも出してもらえない。朴君は悔しくて仕方がない。だって、自分がノックアウトした相手が東京都代表としてインターハイヘ出るわけですから。私は、朴君ら三年生部員を連れて宮崎のインターハイを見に行きました。そしたら、偶然通りかかった埼玉代表の生徒たちを一生懸命に励ましてるんです。高校生同士では何のこだわりもないわけです。埼玉の監督さんも、朝鮮高校の監督さんに『将来の資料に使って下さい』と資料を渡してました。

 

 実はその前に朴君は全日本アマチュア大会の東京都大会に出たんです。高校生は普通、23ラウンドで、すけど、社会人は33ラウンドで、この一分の差はすごく大きいんです。だけど、朴君は何と東京都のバンタム級のチャンピオンになった。最後にやっつけた国学院大学の選手は『強いな。高校生で敵なしというのがよく分かった』と握手しましてね、それを見ててスポーツの世界はいいな、何でそんなスポーツの世界で差別するんだろうと私は考えました。

 

 一番の元凶は全国高等学校体育連盟(高体連)。これは東京の日比谷高校の校長先生が会長をなさっていて、私が『なぜ彼らを入れないのか。大阪なんかでは、入れる動きが出てるじゃないか』と再三インタビューを申し出たんですが、その校長からは『テレビで何を言われようと、どんなに非難されようと構わないから好きなように言ってくれ』という答えが返ってきた。私は頭にきて、彼はこういうことを答えたことをテレビで言いましたところ、番組が終わるとジャンジャン電話が入ってくるんです。『今、出てた大谷というのは朝鮮人か』『日本の子どもが朝鮮人に負けたらそんなにうれしいのか。それだったら朝鮮に行ったらどうだ』。

 

 もちろん、それが視聴者全ての声ではありません。そういう時にエキセントリックに電話をかけてくるのは一部の異常な方たちなんですが、少なくとも、『あれ見てて本当に泣けてきました』という電話よりも、そういう意見の方がはるかに多かったのは事実なんです。従軍慰安婦の問題でも『四十七年前の話をむし返しやがって。本当は金が欲しいんだろう』という日本人がけっこういるのも事実なんです。戦争は大きらいです。

 

 だけど、宣戦布告というのは『お前のところの国民を殺しあうぞ』ということをお互いに宣告しあったこと。停戦が行われない限りお互いが傷つくのは当たり前の話ですし、それが戦争なんです。もちろん殺しあいをいいとは決して言いません。しかしそういう戦争の最中でも、私は絶対にしてはならないことがあるんだと思います。ですから、あの従軍慰安婦の問題は、謝って、謝って、いかなる言葉で謝っても謝りきれないことです。やっぱり私たち日本人全員が背負っていかなければならない問題です。

 今年、大阪城で在日韓国・朝鮮人が四百年祭というお祭りをしました。何から四百年かというと、一五九二年、豊臣秀吉の朝鮮出兵からです。当時、朝鮮半島には二百万しか人口がなかったのに、秀吉軍によって六十万人が殺された。世界に多くの戦争がありますが、その民族の三分の一を殺したという戦争はこれをおいて他にはないんじゃないかと言われている大虐殺です。朝鮮の方たちがどうやって秀吉軍を止めたのかというと、亀甲船という船を仕立てたんです。ですから、亀甲船を仕立てた将軍はソウルでは英雄中の英雄です。

 

 さて十一月八日に盧泰愚(ノ・テウ)さんが宮沢さんと京都で日韓首脳会議を開くために日帰りで、京都にやって来ました。私はその時、盧泰愚さんのネクタイをずっと見てたんです。と言いますのは、第一回の日韓首脳会議で来られた時に、盧泰愚さんは亀甲模様のネクタイをつけていたそうなんです。私はもちろんそんなことは知りません。私が親しくさせていただいている韓国人作家の朴慶南(パク・キョンナム)さんという女性から初めてそのことを聞いたんです。ノテウさんは、四十七年どころじゃないぞとばかり、四百年前に我が民族を六十万人も殺した秀吉を破った英雄が仕立てた船の、亀の甲羅のマークのネクタイを締めて第一回の会談に臨んだわけです。私たちが『四十七年前のことを何言ってんだい』と言ってる時に、向こうは、四百年前の思いを胸にやって来ている。しかも、何と悲しいことに、私たち日本のジャーナリストはそれに全く気が付かなかった。在日韓国のジャーナリストはそれを見て息を飲んだ。それほど、私たち日本人とアジアの人たちとは落差があります。アジアの人たちは常にそういう目で日本を見ているわけです。

 在日韓国・朝鮮人の方たちは選挙権がありません。大阪の生野区は住民の二十四・五%の方が在日韓国・朝鮮人です。彼らは、きちんと住民税も所得税も払ってるのに、橋桁一本、電柱一本つけてくれという願いを込めて票を投ずることはできない。日本のようにとことん税金をとっておいて『お前ら黙ってろ。投票しなくていいんだ』という国はありません。そんなこと言ったら『アメリカだって、投票させてないケースがあるんじゃないか。日本から行ってみろ、なかなか市民権取れないじゃないか』と言われるかもしれません。だけど、アメリカとかヨーロッパの基本的な考え方は、お父さんお母さんはイタリア人だったり、メキシコからの移民であってもその子どもたちはアメリカ人なんです。今、多くの国が出生地主義というのを採っています。つまり、お父さん、お母さんが、イタリア人だろうと朝鮮人だろうと、この国で生まれた子どもはこの国の子どもだということです。しかし、日本は父親が韓国人や朝鮮人であれば、この国で生まれてもこの国の子じゃない。それが象徴されているのが選挙権だと思うんです。私は、この強制収容所の問題の根っこには、いつまで経っても違う民族は国民にしないという日本の流れがあると思います。

 

「あなたが持つてる小さな辛さを大事に」

 

 それでは、日本人はこれから外国人とどうつき合っていけばいいのか、さきほどお名前を出した東京の在日韓国人、朴慶南さんが出版した『クミオ』(未来社)という本を通して考えてみました。キョンナムさんはラジオ短波というミニコミ的な、若者の聴者が非常に多いところで、ずーっと若者と対話する番組をされ、その時の対話をまとめたものです。その中で『どうして韓国・朝鮮の人が日本に来たの』と若者が聞きます。『自分の意思で来た人もいるけど、相当数の人は強制労働で連れてこられたんだよ』と答『える。日本の若者は何も知らないんです、現代史を教えられてませんから。歴史は昨日から遡ってやるべきだと私は思ってます。つい昨日、我々がしたこと、十年前、四十年前に我々のお父さんお母さんがしたことを知らないで、縄文時代の土器のことを覚えても何にもならないんじゃないか。

 例えば、これはキョンナムさんの話とは別なんですが、外国人登録法というのがあります。昭和二十二年の五月二日に発効している法律なんですが、昭和天皇最後の勅令でして、ちゃんと国会を通した法律じゃないんです。何で五月二日なのかと言いますと、翌日から憲法が施行されると勅令を出せなくなるからです。そんなことをしてまで外国人を管理する。まさか、昭和天皇が勅令でしかも、前日に滑り込みで作って、国会を通さずに作った法律とは思ってもみないわけです。そういうことを日本の若者どころか、大人たちも知らない。

 

 そんな中で、キョンナムさんは、若者たちとラジオで対話していたんですね。でもそうすると、日本の若者も捨てたものじゃなくて、話していくといっぱい手紙をくれる。そのうちに、なんとラジオ局で、いつも自分の隣で、リスナーからの手紙の整理をしている十九歳の女子大生から手紙をもらうんです。『毎週、朴さんのお手伝いをさせてもらってますが、学校で教えてもらえなかった、日本がしたことを初めて知らされて身が縮む思いがする。私はこの辛さに耐えられなくなるかもしれない。だけども、キョンナムさんたちが日本から受けた辛さに比べたら私の辛さなんて小さいですよね』という手紙でした。キョンナムさんは、隣にいつもいる女の子が手紙をくれるとは思ってもみなかったわけです。話せば簡単なんですけど、それではこの子の気持ちに答えられないと手紙を書くんです。私はこの手紙を読み、我々のやってることの結論は、このキョンナムさんの言葉の中にあるじゃないかと思ったのです。

 

 『日本の国が私たちの民族にしたことを、あなた一人が全部背負っても重過ぎるし、しんど過ぎるよね。だから、あなたに全部背負ってなんて決して思わない。だけど、今あなたが持ってる、その小さな小さな辛さはいつまでもいつまでも大事にしてね』朝鮮の言葉では、ブリッジの橋も足も『タリ』と発音します。『あなたがその小さな辛さを持って、私たちの国との間にタリ()を架けて、そしてあなたのタリ()で、いつの日か渡って来てくださいね』と。

 私たちのお父さんやお母さん、おじいちゃんやおばあちゃんたちがやったことだけど、私たち一人一人が小さな辛さを持っていこうじゃないか。今日、私が皆さんに申し上げたいことは、その小さな辛さを持ちながら、この収容所の問題を考えていただきたい。小さな辛さを持ってらっしゃる皆さんが『あれは作らせてはいけないんだ』ということをアピールしていくということは、『こんなところに作られては困るんだ』という運動とは全く違います。それは、外国人と私たちの素晴らしい関係を作っていくきっかけになる、理想的な市民運動だと思っています。皆さんが小さな痛みをもちながら、この市民運動を続けていくということは、在日韓国・朝鮮の人だけじゃなくて、アジアの人たちとどういうお付き合いをしていくのかが見えてくるはずなんです。

 

 それは、頭が二つある牛を並べて『放射能を浴びたらこんな子どもが生まれちゃいますよ』というようなことを平気で言っている今の市民運動に、大きな反省を求めることもできるでしょう。そこから、外国人の問題も考えることもできるし、市民運動のあるべき姿を考えることにもなるんじゃないか。もう一つ、我々が、諸外国、とりわけアジアの国々の人たちに何をしてきたのかを、市民一人一人が考えるきっかけになるんじゃないかと思います。

 

 あれほどナチスで反省し、素晴らしい大統領がかつて『過去に対して盲目である者は未来に対しても常に盲目である』という言葉を残しているドイツが、ネオ・ナチで大変危険な状況になっています。あのドイツでトルコ人を徹底的に排斥しようとする動きが出てきています。あんなに反省したドイツでも、外国人労働者に対する考え方を問違ってしまうと、あんなふうになってしまうんだなと。

 

 ではそのドイツに比べて、先ほどの頼さんの話のように、反省のかけらもない日本が同じ問題を抱えた時のことを考えるとどうなるか。そうした時に、この『考える会』は、我々の社会がどう対処していくのかということの鍵を握っているという気がしますしそれぞれの民族の文化・習慣を尊重して以上が私の講演要旨です。

 

 このあと質疑応答に移り、いろんな質問が出されました。でも、その多くが私が話した言葉尻をとらえて「差別用語」だと指摘するもの。問題の本質からズレた所で受けとめられていることが残念でした。「抗議の電話をしてくるのは異常な人という言葉があったが、『異常な』という言葉は精神障害者なんかを意味する。ドイツの大統領の言葉の中にも不適切な言葉があった」とか「『ばか』とか『あほ』とか、障害者差別につながる問題だと思う」というのです。

 それらに答えて持論を申し上げました。

 「『異常』という言葉は、一般の視聴者とは異なるという意味。差別用語ではありません。先日、週刊新潮が竹下政権に対して『群盲巨象を撫でる』という表現の広告を出したところ、朝日新聞や毎日新聞が『群盲』を勝手に消したのだがどう思うかと電話があり、その時にこう答えました。そういうことをやってるからいつまで経っても差別の問題は進歩しないんだ。言葉の問題だけでは駄目なんだ。まして、新潮社が出した広告を新聞社が自分の広告基準に反するからと言って勝手に削るというのが果たして許されるのか。そういう状況を見てる人たちは、本当に差別問題というのはややこしい、関わりたくないと思ってしまう。差別を無くそうと頑張ってる人たちの後から水をぶっかけて歩いてるようなものだ。そこらへんの 問題を越えていかないと差別の問題は一歩も前に進まない、と」

 

 それに関連して、グラフィックデザイナーの牧口一二さんとの話もー。

 

 「牧口さんは松葉杖をついて歩いています。彼は私にこう言いました。『大谷さん、私はイザリやビッコという言葉を使えとは言わないよ。でも、あなたたちマスコミはこうした言葉を全部"足の不自由な人"と言いかえた。私たちが旅館に行く時に今から行くと電話をしたら、足の不自由な人が来るとだけ伝わり、車いすなのか、松葉杖なのか、どういうふうに不自由なのか全くわかっていない。マスコミの言い換えが私たちをどんなに苦労させてるか』。こうした言葉は、昔、差別的に使われてましたが、状況はきちんと説明できたんです。私はそんな言葉にこだわるだけの段階を早く越えていかなければならないと思っています」

 また、「管理」ということについても、私なりの考え方をお話しました。「入国管理法というのは外国人を管理するための法律なんですが、根っこのところでは、国民全てを管理したいというのがあると思います。つねに管理の対象としてきたのは被差別部落の人たちや在日韓国・朝鮮人だった。これは公安警察の資料を見れば良く分かります。そうならないためにも、我々自身の生き方や受け止め方を考えていかなければならないと思います。

 

 この三月、エイズの取材でハワイヘ行ってきました。アメリカで八番目に多い患者を抱えており、州政府は、九二年度には日本のエイズ関連予算の約三倍の予算を組んでいます。しかし、州政府はお金を出すだけで、エイズ撲滅作戦について一切口を出さない。ボランティアの方がエイズ撲滅作戦をやってるわけです。なぜかというと、セックスという人間の尊厳であり、最も自由でなければならないことに、国家や州が口を出すべきではないということなんです。それに対して、日本ではどうか。厚生省のエイズ感染対策室長が『日本は無関心かパニックしかない国なんですよ。パニックになると必ず言う事は"国や行政は何してた"なんです。日本はベッドの中まで国や自治体に口を出して欲しがる国なんですよ』と言ってました。私たちの中に管理されたがる体質があるということなんです」

 このほか「アメリカはそこで生まれた人をアメリカ人として認めるということだが、日本に生まれた外国人が日本の国籍をとれないというのが問題ではなくて、国籍によって差別されることが問題なのではないか」という質問に対して、

 「日本の国籍をとるべきだとは一切思ってません。帰化することも本人の意思に任せるべきだと思っています。帰化制度にしても、身内に生活保護者がいないかとか、長期療養者がいないかとか、犯罪歴がないかとか全てチェックするわけです。こんなひどい条件ならやめちまえと思っています。アメリカは〃人種のサラダボウル"と言われています。『るつぼ』というのは混じり合って皆が一緒になるということなんですが、サラダボウルだと、キャベツはキャベツ、ピーマンはピーマン。それぞれ個性を発揮して生きていくということなんです。私はそれがいいんじゃないかと思っています。アイヌはアイヌ、朝鮮人は朝鮮人でそれぞれの民族の文化や習慣を大事にすれば良いと思ってます」

 いかがでしたか。小さな違いでごちゃごちゃ言ってる市民運動は、私の知ってる限り、全部潰れてます。皆が一枚岩になるのは不可能なんです。いろいろな個性の方が集まっているのだから、ここが違うじゃないかじゃなくて、ここが同じじゃないかというところを確認する方がいいんです。例えば茨木には千八百人の外国人がいる、例の差別ビラを作った地元の方たちもいる。そんな人たちに『こんな会ができたんで、一度遊びに来てください』と呼びかけて、誤解を解いていったらいい。友達になっていくからこそ、理解しあえると思うのです。目的の前に言葉の問題や自分たちの主義主張にとらわれ過ぎてつまずいているような馬鹿なことは絶対にすべきではない。目的が第一なんだということは市民団体やボランティア運動、あらゆることについて言えると思うのです。