がんばった桂候補と若者達茨木市長選自公民なれあい候補に肉薄

 

 

 

 

  桂候補の7年間の議員活動はまさに全国区でした。彼女が全国代表を務める虹と緑の500人リストに結集する市民派議員が大阪、近畿はもちろん、関東、中部から九州、四国、中国と全国から自治体議員が駆けつけ、そのことを実証しました。

また多くの桂議員の議員インターン経験者も連日不眠不休のボランティ選挙を繰り広げました。支援者は候補者の年齢を反映するものですが、若い人がこれだけ参加した市長選もないように思えます。選挙費用も本人の拠出は全体の一割程度、ほとんどカンパでまかなうことができました。

 

  事前のビラ、ポスター、パンフの出来は相手候補をはるかにしのぎ、また事前の候補者による公開討論会も2名の助役経験者を上回って35歳の女性市長に対する不安を一蹴するものとなりました。事前準備は相手2候補から大きく立ち遅れましたが桂候補の街頭での訴えが徐々に浸透するにつれ、見知らぬ市民が手を振り、声をかけてくれました。

 

茨木市長選挙結果

桂むつこ

24607

野村宣一

30948

千葉邦英

15956

 この桂候補に対し当選した野村陣営の選挙運動は街頭で見る限り形だけのものでした。事前の駅頭での挨拶も頭を下げて名前とおはようございますを繰り返すだけ、野村候補がマイクを持って政策や信条を口にすることはなく、宣伝カーも連呼しかしませんでした。選挙事務所も頭と足は見えても胴体は見えないように布を張り巡らし、普通の市民が出入りをためらうような雰囲気が漂っていました。争点なんか何もない、誰がなっても一緒、何も違わない。そのことを有権者に見せ付けるだけの選挙だったように思えます。できることなら選挙なんかしたくない、そんな風にも感じました。

 

  かつて政治改革は小選挙区制を導入する口実として「政策で争う選挙に変える」と言いながら、本音は大同小異の自公民で議席と利権を山分けするためのものでした。それが首長選挙ともなると政策どころか恥ずかしげもなく自公民が同一候補をかつぎます。つい半年前に小選挙区で争った西田猛(自民)と大谷信盛(民主)両衆議院議員が、また自衛隊協力会と自治労、教組が仲良く推薦しますと法定ビラで呼びかけました。ばかばかしいほどの野合ですが、実際のところ一体なのかもしれません。民主党の2名の市議が桂陣営に参加してくれたのは、桂候補だからということもありますが、こんな自公民なれあいへの反発、特に公明党への反発が大きかったものといえます。

 

 「投票に行こう」のプラカードも幾度となく大々的に掲げられました。しかし市民の関心を高めるまでには至らず、投票率は35%強と、過去最低に近かった前回から1%も伸ばすことはできませんでした。政治に対するあきらめ、不信が自公民政治の中で一段と広がっているのではないでしょうか。

 

 桂候補が当選すれば全国最年少の女性市長誕生ということもあってマスコミ各社が注目した選挙でした。しかし35歳の女性候補は多数が選ばれる議員選挙ではプラスになっても、ただ一人を選ぶ市長選では不安につながってしまう現状が残念ながらまだまだあるように思えます。

 

勝てる組織的力量がなかったことが敗因

  ただ組織(野村)対個人(桂)の対決が桂候補の宣伝カーから幾度も流れてきたのには違和感を覚えました。どうして組織が悪で個人が善なのか。世間に組織嫌いの風潮があることは認めるとしても迎合しすぎに感じたのです。

今のどうしようもない時代や社会を作っている政官財の構造、そこに巣食い私的利益を得ている個人。それを変えたいと思う私達の組織は上意下達ではなく、もっと個人を大切にする組織運営が絶えず意識されなければならないということはありますが、組織否定では彼らに勝つことはありえないでしょう。

 

  現に組織の支援を受けずに桂陣営は闘ったのではありません。中之島メーデーに結集する全労協系のメンバーが手伝い、社民党や新社会党も結集しました。公認なり、推薦など形式的な手続きは有りませんでしたが共産党や全労連、新婦人、民商など明るい会の大きな組織も手弁当で手伝ってくれました。この人たちが結集したのは今の閉塞した政治を作り、大衆を政治から締め出している自公民政治が中央から地方に至るまではびこることへの怒りでした。

 桂候補はこちらが準備できる最高の候補者であり、助役候補との差は歴然としていました。ただ組織力量が相手に及ばなかっただけのことです。

しかし敗北はしましたが今回の挑戦は全国各地で女性が、若者が議員だけではなく首長にも進出していく一つの大きな契機になるものと思われ、大きな意味を持つ闘いでした。

新社会」大阪 2004年5月号