無知が裸足で逃げていく

 

 天皇や総理も、その肩書き(?)を取れば、どこにもいる普通の人。しかし本人そのものではなく肩書きや門地をありがたがる人がまだいるようで私は驚いてしまう。

  朝日新聞は「女性天皇容認」という今朝の記事解説で、渡部昇一(上智大学名誉教授)の「男系で一点の狂いもなかったから、神話の時代から皇室が続いた・・・。」とのコメントを載せている。続くことをありがたがっているが、全ての人はみんな連綿と続く悠久の歴史の中で生きている。何も天皇一家に限ったことではない。動物や植物だって一緒だ。本(もと)をたどれば種の起源の世界であり、宇宙の誕生からの話である。いわしの頭も信心からというが、没知性の御仁でも名誉教授が務まるのだからこの国はありがたくて仕方ないのだろう。

 日本に「神話の時代」なるものがいつあったのだろう。それはいつ始まりいつ終わったのか、「神話の時代」と次の時代を画する指標は何かと尋ねてみたい。もっともこの人にとって戦争に負けようが平和憲法になろうが、未来永劫神話の時代なのかもしれないが・・・。

 さてこの名誉教授、神話が好みにしては、日本書紀すら頭にないのはどうしたことか。書紀は天皇家が自らの権威と権力を正当化するために編纂したものだが、天皇家内部の殺し合いや民衆への残虐行為がこれでもかというほどに記述されている。教授の頭には壬申の乱や南北朝の争いもないらしい。男系にしても、これがなぜありがたいのか分からない。そして男系でありさえすれば女性天皇でもかまわないという考えもよく分からない。男系をこれだけありがたがるのは病としか言いようがない。
 もっとも私は血筋から個人を考える思考なんか最低だと思っているが、それを宣伝する学者なんか無学の民にも劣る存在でしかない。

 加えて「一点の狂いもなかった」とはどういうことだ。「一点の狂いもない現人神」を演出した国家神道こそ、あの無謀で残虐な侵略戦争を引き起こした土壌ではなかったのか。沖縄で負けようが、東京や大阪が焼け野原になろうが、広島、長崎に原爆が落とされようが、やがて神風が吹いて米英中に勝つという大日本帝国国民の愚かしさは、権力が作り出したフィクションと、そのみこしに乗った天皇の存在抜きには考えられない。

 無知が裸足で逃げ出すような渡部教授にコメントを求め、それをそのまま掲載する朝日。渡部教授も渡部教授なら、朝日も朝日である。それにしても総選挙で露呈されたこの国の知性喪失はとどまるところをしらない。愛国心なるものは知性喪失があって初めて成り立つものだろう。

  

2005/10/26 ブログ 山下けいきのRUNRUN日誌より