何の為の国体か  

 

 なみはや国体を前に、夏期大会競技会の参与を委嘱するとの通知が市役所の国体室から届きました。何の了解もなく参与の役割も分からないので事務担当者に聞くと、「議員さんは皆参与になります。了解は取りません。参与といってもただ国体に協力していただくだけです。全ては国体開催要項によって進めています」との返事。

 

 私は本会議で「開催県をいつも優勝させる不公平な仕組み、優勝させた県に渡される天皇杯と皇后杯、 天皇中心の式典、かつて戦場で相手を殺傷するための銃剣術(種目名は銃剣道)はスポーツとしてふさ わしくない」と国体の見直しを求めてきました。 人員や財政だけでなく、高槻の摂津峡では競技場のために自然が破壊されるなど自治体に大きなしわ寄せをもたらしています。

 

 国体への疑問は私や市民 だけではなく、労組の連合や関係者からも上がっています。国体に見られる無批判の「右にならえ」に、あの軍国主義時代と何も変わない恐さを感じます。

 

 そういえば戦前、国体は「天皇を中心とする国家体制」を意味したのです。なお国体の参与委嘱状は丁重にお返ししました。

 

「お元気ですか」141号 1997夏