自分の為に生きたら社会も変わる

 

 市内のあるPTAで「社会に役立つ子どもを」というスローガンがあったとのこと。「OOの為に」のOOには自分という言葉があった例はなく、昔は御国や天皇の為に死ぬことが名誉とされました。今は会社や組織に変わり、それにモノやカネが絡む御時世のようです。

 

 他人の労働でいい暮らしをする資本家と過労死寸前まで働かないと生活できない貧しい庶民という今の社会矛盾をそのままにして、社会の為はいただけません。また一般的に役立つとは何らかの能動的な働きが出来ることを意味しますが、障害者にとってはそのことが困難な上に、社会参加そのものも十分保障されてない現状では障害者の存在がすっぽりと抜け落ちている気がします。

 

 まだまだ滅私奉公が尊ばれる日本社会ですが、私は人は誰の為でもなく自分の為に生き、個の確立や自立の延長上に家族や愛する者、社会があったらいい、私を滅ぼす公は何の存在価値も有しないと思っていますが、いかがでしょうか。

 

「お元気ですか」26号 1991年11月