国家神道の罪深さを改めて考える

 

 

▼夕方一人で自 衛隊派兵反対の宣伝をしていると、お年寄りが 「国賊」と言い捨てて歩いていきます、「ありがとうございます』と応じたら相手はおもしろくなさそうな顔をして立ち去っていきました。アメリカからの40億ドルの援助や海外派兵の要請に唯々諾々と応じようとする海部さんや自民党こそ国民の敵に思えるのですがいかがでしょうか。アジアの人の強い懸念が伝わる中で日本の平和力そのものが国際社会の中で問われているように思えます。

 

▼さて大嘗祭。天皇という肩書きでさえ生身の人間には重苦しいと思うのですが、大嘗祭は天皇が神になる宗教儀式とか。本人がこんな儀式をどう思っているのか聞きたいところです。世間を騒がしているオウム教など世の中にはゴマンと教祖や神がいて、無宗教の私には誰が神様になろうとどんな教義を持とうと一向に構わないのですが、国が特定の宗教に税金を使ったり便宜を図ってはいけません。

 

 そもそも宗教行事や儀式はその団体が信者から寄附を集めてやるのが筋。 現世の国家権力に媚たり協力してもらうこと自体がその宗教の弱さや堕落の露呈に過ぎないというのはいい過ぎでしょうか。大嘗祭にキリスト者や真宗大谷派などの宗教界、学者などから批判が出てくるのは当然のことです。国家神道がいかに戦争遂行を支えたのか歴史を振り返ってみる日に12日や22日はしたいものです。

 

「お元気ですか」15号 1990年11月