「天皇」タブーは民主主義に良くない

 

 本島長崎市長に対する暗殺未遂事件は改めて「天皇」と「言論の自由」の問題を私達に突きつけました。本島市長は毎日新聞に「言論の自由の方が取上げられているが、自分としては天皇の戦争責任についての活発な論議を望んでいる」と語っていたようです。

 

 私にとってどちらも大切なのですが、 タブーとされていることをそのままにしての言論の自由は『自由に値しない』と思っています 。

 

 それにしても天皇重病説以降、自粛をあれ程煽っていた神社が、年末になると初詣客の受け入れ準備におおわらわだっ たようです。しかも天皇家と密接な関係にある明治神宮すら「天皇家が喪中だからといって一切関係無く初詣客を受け入れる」という社務所の対応ぶり(社会新報12月》で、家族の幸福や平和を願ってのさい銭が靖国神社の国営化の運動や憲法改悪(新天皇は憲法を守るといっているので.すが》の資金に化けてしまうことと同様、何かしら釈然としません。

 

 今回の事件もそうですが、祝日の半分・ 近くが天皇に関係あることなど.改めて日本の民主主義の質が問われているので はないでしょうか。

 

 さてその自由と民主主義を標榜する自民党は市長発言の後、長崎市への交付金を減らし、本島市長を自民党の役員から排除したばかりか、警備を解くよう働きかけていました。右翼みたいな暴力こそ用いませんが、言論の自由に対する認識は同質といえそうです。  今回の衆議院選挙は消費税やリクルー ト事件を巡って闘われますが、同時に自民党の持つ反民主主義といった体質も批判されてしかるべきではないでしょうか。

 

「お元気ですか」6号 1990年2月