失業や自殺が少ない社会へ

 

 私たちの暮らしが自治体でも切り捨てられつつあります。「民でできることは民で」という単細胞の小泉首相の下で進められる民営化の動きが、茨木では18ヶ所ある公立保育所(民間保育所は15ヶ所)の民営化として現れています。

 昨年秋に「公立保育所のあり方を考える懇談会」がつくられ、この3月末までに4回開催されてきました。

4回目に提出された意見書案には「公立保育所を存続させるならば、『民ができることは民にまかせる』ことを原則とし、公立保育所が担うべき役割の範囲を特化・限定し、高コストに見合った公立保育所に相応しい役割を明らかにする必要がある」として、@公立保育所は「私立保育所では対応することに限界がある虐待児童やDVなどリスクのある在宅家庭の子どもに対して、保健師等と連携しながら定期的に訪問し支援に取組む」、A「公立保育所は、障害児保育の実績を継承しつつ、ノーマライゼーションの立場から、すべてのこども達の発達を支援するセンターとして位置づけ、私立保育所では対応困難な障害をもつ児童を受け入れる」、B「発達障害の子どもなどを含め、在宅家庭における障害をもった子ども達に対しても積極的に対応していく」と述べています。

 とんでもない意見書ではないでしょうか。「障害児」「虐待児童」「リスクのある児童」は全て公立保育所に押し付ける。「ノーマライゼーション」の立場からといいながら「障害児保育」は私立ではやらなくていいという。障害児は「近くに私立があっても遠くの公立保育所に行け」というのでしょうか。「ノーマライゼーション」の対極にある意見書といわなければなりません。この内容でまとめるなら、関川会長は不信任ものです。社会福祉学部教授の看板がほんまもんなら私立保育所でも「障害児」「虐待児童」「リスクのある児童」を受け入れるべきだと主張すると思うのですが・・・。

 それにしてもなぜ「民ができることは民にまかせる」ことを原則にするのでしょうか。私は逆に「公ができることは公にまかせろ」と言いたくなります。「公」の全てを肯定しているわけではありませんが、「民なら何でも任せられる」という考えがなんの検証もなしにまかり通るばかばかしさ。弱肉強食の社会を肯定し、利益追求のためなら公が責任を持つべき福祉の分野も全て民に切り替えていく動きに腹が立ちます。

 5月末に開催される最終の懇談会に向け、懇談会委員による意見書に対する質疑、会長不信任の準備、また市民から市長や懇談会会長への意見書提出、無数の団体によるビラの発行、6月議会での追及など民営化を許さない取組みを準備しています。

 福祉金条例を改悪、障害者を「イエ」単位に

 また三月議会には福祉金条例の改悪が出されてきました。財政赤字に苦しむ大阪府が、国の基準を上回っていた福祉、教育の水準を低下させたために、市町村がもろにその影響を受けています。その一つが今回の障害者福祉金。ほとんどの市町村が打ち切る中で茨木市は継続してきましたが、今回主たる生計中心者の所得462万1千円を超えれば支給しないと、福祉金総額の縮小を狙う改悪案を提出してきました。

 障害を持つ人を1人の人格を持った個人として捉え、そのさまざまな困難を社会全体で解決していこうとする考えは残念ながらまだまだ定着していません。障害者が家族にいたらしんどいのは当然という見方も根強く残っています。

 今回出てきた「世帯の生計中心者の所得による受給資格の制限」という市の提案は、障害を持つ人を社会が支えるのではなく、従来のイエと言う概念に押込み、1人の人格を持った個人という考えからも程遠いものです。

 また障害をもつ人が家族から自立して生活するケースがだんだん増えていますが、これに水をさすことにもつながりかねません。

 このような考えから元気市民3名で修正案を提出して議論してきました。

自立支援は名ばかり「障害者自立支援法」

「障害者自立支援法の見直しを求める」意見書を採択

 一方、国は昨年10月の社会保障審議会に、「今後の障害保健福祉計画について〜改革のグランドデザイン案」を発表しています。しかしこの内容はこれまでの障害者福祉施策を大きく後退させるものであり、関係者からも大きな批判を浴びています。

 その1点目は応益負担の導入です。「応益」とは、その行為によって特別の利益が発生することをさすものです。当然ですが障害やハンディが大きいほど支援や介護を必要とします。介護度が高く、そのための支援や介護がより多いとしても、軽度の人や健常者より恵まれ、特別の利益が得られるわけではありません。やっと普通の生活に近づくだけのことです。「社会的介護を応益」と考えることは「ノーマイゼーション」の考えから大きく逸脱するものと言わなければなりません。

 その2点目は施策の実施責任が財政的な裏づけがないままに市町村が担うことです。地域生活支援事業が市町村によってどれぐらい実施されるか、その格差がますますひろがることが予想されます。

 今回、各会派との調整を続ける中で「障害者自立支援法の見直しを求める意見書」を採択することができました。これまで硬直化した会派の対立から意見書が採択されることはほとんどありませんでした。今回採択に至ったのは、@ほとんどの障害者団体が「障害が重くなるほど、本人負担が大きくなる」ことはおかしいと批判と疑問を抱いており、自民党会派にも障害者団体から同趣旨の要望があげられたこと、A改選後、新人議員が約四分の一を占め、従来の硬直化した対決から、微妙な変化が出てきたことがあげられます。

 国が文化的な最低限の生活を保障する責務を放棄し、自己責任を押し付ける改憲状況の中で、私たちが自治体の現場からも反撃することが求められています。

2005年5月  「新社会大阪」掲載分