市議会での攻防

 私は桂睦子議員と二人で「元気市民」の会派を構成している。市民派が複数になると、しっくりいかないケースがあるが、茨木はうまくいっている好例だろう。桂議員の妊娠を巡って私の子どもだとの噂が流れ、選挙妨害に利用しようと右翼新聞が書き立てた。名誉毀損で裁判中である。この新聞は日頃から私を「保守系の議員に蛇蠍のごとく嫌われている」「日の丸・君が代に反対する反国家主義者」と宣伝しているが、うれしい限りである。

安威川ダム反対運動

 80年4月の補欠選挙で初当選、その直後に関わったのが、大阪府が茨木北部で洪水調節、水道水の確保を目的として進めている安威川ダムへの反対運動である。今でこそ無駄な公共事業の典型としてダムが取り上げられるが、当時、府・市の行政、議会はダムに疑問を持たずに推進一色、議論は補償問題ぐらいだった。

 ダムに疑問を持ち始めた市民グループと勉強を始め、ダムに関する資料を読み漁り、安威川ダムはどうなのかと検討を始めていった。その集大成が、党除名覚悟でやった82年3月の質問である。ダムは疑問との質問に、社会党の先輩議員はどうなっても知らんと言い捨てる、議場は騒然とし、市長は党の府議にどういうことだと電話をかけ、府議は俺の立場はどうなると責め立てた。ダム反対のグループや一部の党員を除けば、四面楚歌の状況だったが、自分の言いたいことは言う、誰にも遠慮しない。そんな議員スタイルができたのはこの質問が大きい。

 以前に増して安威川ダムに対する疑問や反対は大きくなっている。時代はダムによる治水から総合治水に変わり、水需要の停滞、更には大阪府が赤字再建団体すれすれの財政危機となり、オオタカ、オオサンショウウオ、アジメドジョウといった生態系破壊、採石場、堆砂、断層、劣悪な基礎岩盤・・・・と問題点は山積している。まだダムは未着工であり、反対運動はこれからだと考えている。

議会での攻防

 議員は一旦当選すれば、質問しなくても報酬に変わりはない。私は議員の本業である質問をしないで報酬を受け取るのは気が引け、議会毎の質問を自分に義務付けている。

 もともと茨木には発言時間の制約はなかった。ところが発言しない議員には、これが目障り、異議なしで早く終わることしか頭にない。36名全員発言意欲があると強弁し、質問時間の制限を自公民の多数で押し切った。これに味を占めた彼らは、論理よりも多数で議員定数削減、請願への反対などを押し切っている。

 小泉政権の高支持率で右傾化は地方議会にも及んでいる。2月までは自民沈没と自嘲していたのが、6月は教科書に介入する朝鮮、中国はけしからん。扶桑社の教科書を採用せよ、更には議会に日の丸を掲げろと威勢がいい。

 日の丸に頭を下げず、君が代は歌わない、卒業式などの式典では着席で抵抗してきた私には到底認められない。

2001年7月9日 「アクト」掲載分