大阪府・茨木市議会議員 山下慶喜
茨木市は大阪と京都の中間に位置し、大阪都心への便が良いこともあって発展し、今年で市制五〇周年を迎える人口二六万人の衛星都市です。 本市の六五才以上の高齢者は今年の三月で二万八千人、全人口の一〇・八%で高齢化率は全国平均よりもかなり低くなっています。
国の責務を投げ捨てた介護保険法 さて介護保険制度の実施まであと一年半となり、本市でもその準備におおわらわです。私に与えられたテーマは自治体から見た介護保険の問題点とそれに対してどのような取り組みが必要かということです。 いうまでもなく憲法第二五条は生存権として国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有することを定め、国は社会福祉、社会保障の増進に努めなければならないとしています。また老人福祉法も第四条で国の責務として老人福祉の増進を規定しています。
しかし介護保険法は憲法や老人福祉法で規定された国の行政責任を放棄し、国民に負担を押しつけるばかりか福祉に対する公的領域を縮小することで、民間企業に八兆円規模の市場を提供するものとなっています。このことは厚生省の介護保険制度大綱に「介護サービスの提供主体に対する規制緩和を進め、多様な民間事業者の参入を促す。民間保険の活用が可能となるよう努める」とあることからも明らかです。この点、民間資本の利潤追求を目的に進められている点で、他の多くの行革・規制緩和と軌を一にするものです。このような意図の下に導入された介護保険制度に、地方自治法第二条で、その事務を処理するに当たって住民の福祉の増進に努めることを定められた地方自治体は大きな戸惑いを見せています。
地方自治とは無縁の介護保険法 介護保険法で自治体は保険者としての事務を処理するとされています。しかし具体的な内容はすべて三百にものぼる政令・省令に委ねられており、政府が一方的に決めるものばかりで、市町村が決定できるのは皆無に近く、決定できても法令の枠内という制約がついてきます。
しかもこれらの政令・省令は現時点においてもほとんど示されておらず、自治体で介護保険の準備を進めている担当者の苛立ちは募っています。
これは介護保険法が十分な年数を取って議論されないままに、しかもホームヘルパーや特別養護老人ホームなどの基盤整備ができていない中で、無理やり自治体に押しつけてきた経過を如実に物語るものです。これが地方分権・地方自治の流れに逆行することはいうまでもありません。問題はそれだけでなく自治体に新たな負担を強いる内容にもなっていることです。
自治体に膨大な事務と経費を押しつけ 介護保険のために市町村が新たに処理しなければならない事務は保険証の発行、資格喪失の管理、保険料の賦課徴収と給付管理、納付状況の管理と督促、滞納処分、電算システムの開発、介護認定審査会の事務、財務会計システムの変更、特別会計の新設などです。
本市など住民の転入、転出が多い大都市周辺の自治体ではその度に保険証の発行、資格喪失の管理事務が生じるために一層の負担となります。
市は私の九月議会での質問に対し「介護保険がどれだけの財政負担になるか試算していない」と答弁しましたが、これらの事務をこなすために、市は国民健康保険課並みの職員が必要と見ており、この人件費だけでも二億円と見込まれ、事務費全体となると相当な支出を負担しなければなりません。
これらの負担は従来の租税による公的福祉から介護保険法に転換したために生じたもので、まさに「無駄の制度化」にほかなりません。 全国市長会は本年六月に「介護保険制度の施行までの間、市町村においては、施行準備のための膨大な事務と、現行制度による事務とが併存するため、人員・経費の確保に苦慮している。国においては、介護保険制度施行後における事務処理体制の維持はもとより、準備期間中の人員・経費の確保についても必要な措置を講ずること」と要望決議をしていますが、国がどれだけの財政補助を行うのか今だにはっきりしていません。
保険料の徴収は極めて困難 年令六五才以上の第一号被保険者は所得によって五段階の定額保険料となります。どれだけの保険料になるかは制度施行前の三月議会で決まりますが、各市町村で介護基盤の整備に格差があるためにばらつきが出てくることになります。
保険料の徴収は大半が年金からの天引きですが、年金額が月一万五千円以下(これまでは三万円以下といわれていた)の低年金・無年金者は市町村の個別徴収とされ、厚生省は約二割がこれに当たると見ていますが、本市の場合、第一号被保険者二万八千人のうち月三万円以下の低年金・無年金者を一五%、四千二百人と見込んでいましたが、一万五千円以下の対象者についてはまた把握できていません。
社会保険庁の調べによれば、九六年の国民年金加入者は全国で一九〇〇万人、納付状況は完納者が六六・三%にとどまり、未納者一一%、低所得などを理由とした免除者が一四・一%、一部納付者が八・七%となっており、徴収率は八割にとどまっています。このために同庁は九九年度の年金制度改革にあわせ滞納者からの徴収を強化し、資産の差し押さえ、保険料の支払い免除の基準の厳正化に踏み切ることを、この九月に明らかにしています。
なお本市では全国を更に下回り、完納者は六一・六%で一部納付一二%、免除者一一・二%、未納者一五・一%となっており、徴収率も七五・一%という状況です。 市町村は低年金者・無年金者に介護保険料の納付書を送付し、自主的に納入してもらうことになりますが、徴収はは困難です。なぜなら年金額が月一万五千円以下の人はぎりぎりの生活を送っており、払いたくても払えない状況にあるからです。また、大半の人は社会保険庁が天引き徴収することになりますが、拒否権を奪い有無を言わさず徴収するやり方はずるいとしかいいようがありません。
一方、四〇才から六五才未満の第二号被保険者からの徴収も困難です。本市における国民健康保健(国保)の収納率は昨年の場合七六%で、歳入の一三%に当たる一七億円を一般会計から繰り入れ、なんとか運営している状況です。
議会に提出された国保料滞納世帯の実態分析によれば、滞納世帯は全世帯の一八%にのぼり、滞納世帯の所得状況は〇から百万円未満が五三%と過半数を超え、二百万円までが七一%、三百万円まで含めると八四%を占めます。また減免世帯と滞納世帯の合計は二割を超えています。
国保に上乗せして徴収となれば、今でも滞納、未納が多く赤字が当たり前の国保財政が破綻するのは火を見るより明らかです。
このように現在でも国民年金、国保財政が危うい中で介護保険料を新たに徴収すれば、介護保険料の徴収はもちろん、国民年金、国保料の徴収率が更に低くなり、それぞれに深刻な影響を与えることは必至です。
もう一つの大きな問題は支払い意欲をどう見るかです。加齢による介護しか対象にならないために第二号被保険者は払うだけ、第一号被保険者の場合でも、厚生省が対象になるのは全体の一三%と限定的に見積もっており、残りの八七%の人は生涯保険料を払い続けることになってしまいます。なんともひどい制度を作ったものです。
しかも保険料を払っていてもいざという時に認定される保証はなく、肝心のサービス基盤も全国的には未整備の自治体が過半数の状況では、支払い意欲が湧くのが不思議というものです。介護保険に対する国民の期待感も急速に薄れつつあのます。
このような背景を考えれば保険料徴収が当初見こみより減少し、初年度にして一般会計からの繰り入れが必要になると推測されます 。
なお本市の介護保険特別会計における給付サービス供給額は、現在の老人保健福祉計画を達成できたとの前提の下に、現行の単価で試算した場合の規模は四六億円と答弁しています。
広がる介護保険への失望感 毎日新聞の十月一日付けの朝刊に掲載された高齢社会世論調査によれば、介護保険の賛否は九四年、九五年、九七年とも賛成が八〜七割の高率だったものの、今回は期待する一八%、多少は期待する三五%と、かろうじて五割を超えただけでした。これは制度の実施が近づくにつれその本質が明らかになり期待感が失望に変わっていったものと思われます。
なお介護保険の制度や運用をめぐって不安を感じる点として、「期待していた介護が受けられない」と「保険料が値上げされる」がともに四割を超え、「市町村の認定基準がバラバラになる」、「重度の場合自己負担が高額になる」、「六四才までは実質的に掛け捨てとなり恩恵が少ない」がそれぞれ三割となっています。介護保険が羊頭狗肉に過ぎなかったことは実施が近づくにつれ、また実施後はなおさらはっきりしてくるものと考えられます。
公平・公正な介護認定はできるのか 来年十月から審査を開始する介護認定審査会も問題を抱えています。従来であれば申請者、家族、担当課の話し合いでスピーディーにサービスが提供されていたのが、審査会の認定が必要になったためにサービス提供が大幅に遅れてしまいます。また審査会に上がってくる請求件数は本市の場合、三千三百件と予想され、これを実施までの半年間にこなすとなれば一ヶ月間で五百五十件を審査することになります。初めての慣れない制度の下で膨大な件数をこなすことに大きな無理が生じ、判定の公平・公正さが保たれるか疑問といえます。
介護支援専門員(ケアマネージャー)が行なう聞き取り調査項目は身体機能に偏重した内容になっており、痴呆状態の把握も一時間程度では無理といわれています。これで十分な介護状況を把握できるか疑問ですし、同じようなケースで介護支援専門員個々の判断が違うことも十分考えられます。この聞き取り調査はマークシート方式でコンピュータによる判定となります。認定基準も確定しているとはいえず、どのような条件であれば要介護になるのか、また要介護度のランクはどうなるのか、コンピュータによる判定基準はブラックボックスに包まれています。
またかかりつけ医の意見書は要介護度ではなく所見を記入するものです。医師によって判断も分かれることが予想され、これを審査会がどう判断するかも難しいのではないでしょうか。
更に厚生省が一昨年行なったモデル事業ではコンピュータによる判定と介護認定審査会の判断のズレは約三割にも及んでいます。審査会が申請者本人を一度も見ないままに書類審査だけで正しい判定が下せるのか疑問が残ります。 介護支援専門員、かかりつけ医、審査会委員が誰になるのかによって同じような症状であっても判断が異なることは十二分に考えられるのです。
申請者にとって認定されるかどうか、また認められたとして介護度二は十八万円、介護度四では二三万円と一ヶ月で五万円も支給額の差があり、ランクがどうなるかは大きな関心事です。申請者同士で比較しあうことも出てきます。認定の公正・公平さへの疑問が募れば、不服申し立ての続出、保険料の滞納につながりかねません。
認定審査会の処分に不服がある場合は、府に置かれる介護保険審査会での不服申立て、その他の苦情サービスについては府段階の国民健康保険団体連合会が受けつけることになります。しかし市民の苦情を最初に受けつけるのは市の窓口担当者だけに、今からその苦労が思いやられます。いずれも件数が多くなれば府段階で迅速・正確に処理ができるかも今後の課題になってくるものと思われます。
公的負担で現行サービスの維持と充実を 次に肝心の法定サービスと現行サービスとの整理をどうするかです。法で定められた給付事業は極めて限定されており、現在自治体が行っている介護サービスを網羅するものではありません。本市では配食サービス、移送サービス、老人ホームケア促進事業寝具乾燥サービス、在宅寝たきり老人等介護見舞金支給事業、老人福祉電話設置事業、緊急通報装置設置事業、インターホン設置事業、援護員の配置などのサービスを実施しており、他の自治体でも同様のサービスが行われていますが、これらは介護保険の対象外です。
これらのサービスを維持し充実させようとなると自治体の取るべき道は次のいずれかになります。
一つは条例で法に基づく市町村特別給付として位置付けるやり方です。これは六五才以上の保険料の値上げにつながり、当然のことながら利用の際の一割負担も伴います。
二つは市町村特別給付として条例に組み入れ、利用の際に一割負担が伴うことは一緒ですが、保険料は値上げせずに市が単費で運営費用をまかなうやり方です。
三つは介護保険の範囲から外して従来の福祉施策の延長として実施することです。この場合、住民は法に基づかないので保険料も一割負担も不要になります。自治体がそれぞれのサービスを無料にするか、有料にするかの判断が出てきますが、少なくとも現行以上の負担は住民に求めないようにすること必要でしょう。介護保険法が欠陥だらけである以上、この方法でサービスの維持向上を求めていくことも私たちの選択になるものと思われます。いずれにしてもこれらの保険給付以外の「横出しサービス」、介護保険法の基準を上回る「上乗せサービス」や、さらに単独施策はいずれも市町村にとって大きな負担を伴うことになります。このようなサービスが多くなればなるほど一体なんのための介護保険なのかが改めて問われざるをえません。
この点についても全国市長会は「認定された要介護度に応じた介護サービスが国の定める支給限度額の範囲内で供給できない場合、保険者である市町村において、いわゆる『超過負担』的な負担が生じるおそれがあるので、このような事態を避けるためにも、実態調査を踏まえ、実状に即した支給限度額を設定すること」と国に要望決議を行っていますが、これについても国の対応ははっきりしていません。
保険料や利用料が払えない低所得者への対策を 市が頭を悩ましているのが保険料を負担できない、またサービスを受ける際に必要な一割の利用料が払えない低所得者への対策をどうするかです。特に特別養護老人ホームに入所している低所得者の場合は深刻です。現入所者のうち、食費などの日常生活費を含めて月六万円程度になる利用料を払えない人は七割にも上っているといわれています。五年間は現行負担のままという経過措置があるものの、その後は利用料の一割負担ができなければ退所する道しか残されていません。まさに低所得者排除の仕組みです。
しかし国は「なにがなんでも保険料を徴収せよ、利用料を支払ってもらえ」「払わなければペナルティを科せ、サービスを止めろ」の姿勢を示すだけで、住民を目の前にして仕事をしている自治体は頭を抱えています。
自治体と一緒になって災害の場合だけではなく、低所得も要件とした保険料や利用料の減免制度など国に求めていく運動が必要になっています。
高齢者が人間らしく扱われる社会をめざして 本市では老人保健福祉計画・介護保険事業計画策定懇談会がこの八月から会合を行っています。これは名前のとおり介護保険に関する事項だけではなく、全般的な高齢者の保健福祉に関する計画を定め、市に答申を行なうことを目的に二十名の構成員をもって設置されたものです。ここに市民の意見をどのように反映していけるかが大きなキーポイントです。議会で懇談会を開かれたものにするために、ゆとりを持った事前の周知と、傍聴者が多くても対応できる会議場所の広さを求め、市もこのことの必要性を認めました。茨木では今後の活動として傍聴活動に組織的に取り組むことを考えています。
また制度実施以降は運営協議会が設置され、設置された懇談会がそのまま移行することも考えられていますが、新しい委員の選出の際はできる限り官製の団体役員を中心にしたメンバーではなく、市民の公募枠を広げ意欲と問題意識をもっている人が増えるよう働きかける必要があります。
自治体に対しても担当部局に説明を求めたり、学習会の講師になってもらうなど、あらゆる機会を通じて住民の意見を行政に反映させる取り組みが必要です。更にこれらの活動を通じて市への要望活動や、議会に対する請願・陳情なども積極的に行ないながら、介護保険制度の不備を指摘し、現行の介護水準を維持し高めていく努力が必要になってきています。
同時にホームヘルパーの多くが正職員ではないために身分や賃金面において、安心して働ける 状況になく、この点の改善も自治体に求めていく必要があります。いずれにしても国の法令が問題だらけの状況では、自治体だけへの働きかけでは改善は難しく、国に対して自治体とともに働きかけていくことが求められています。
市議会での介護保険の論議はまだ始まったばかりの感があります。来年の六月に認定審査会の設置条例、実施直前の二千年三月の議会に介護保険条例が提案される予定となっており、一つの大きなヤマを迎えます。介護保険は制度実施以降も大きな問題が山積することが予想され、関心を持っている市民と継続した学習会や市との話し合いに取り組み、高齢者が安心して生活できる街づくりをめざしていきたいと考えています。 この原稿は「科学的社会主義」に掲載されたものに若干手を入れたものです
も1998年秋 月刊「科学的社会主義」掲載分
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