西日本入国管理センター反対運動の中で

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 西日本入国管理センターは法務省が不法入国、不法滞在の外国人を国外に退去させるために一時的に留めておく施設として茨木市の郡地区に建設した施設です。同様の施設として東日本入国管理センターが茨城県牛久市にもつくられています。

 

 この建設の話が地元の自治会に持ち込まれたのは92年の2月。これに対し地元自治会では早速建設反対運動が起こりました。その理由は「密航等で入国した外国人に対する一時的な検査でエイズ患者、伝染病人、風土病人の見つけだしは漏れなくできるのでしょうか」「収容者が施設の庭にはくタン、ツバは雨水に混じり、ハエ、ゴキプリが病原菌をまきちらす」「外国人が工場やアパートを占拠。逃亡、犯罪、事故に巻き込まれる」といった外国人への偏見に満ちあふれたものでした。

 

 私たちはこのような偏見を無くし、外国人労働者を使い捨てる今の入管政策のあり方に反対して入管センターを考える会を92年の7月につくり、法務省との中央交渉、大阪入管局、センターとの交渉を続け、被収容者の人権を尊重するよう申し入れてきました。

 

 また外国人労働者が日本でどのように扱われ方をしているかなどの学習会や、昨年9月には沖縄の反戦地主である知花昌一さんを呼んでの講演会、今年は5月2日に「南京1937」の上映会など平和運動にも参加してきました。

 

 さてセンターは1995年11月にオーブンし収容が始まっています。これまでセンターは私たちとの話し合いに応じ収容者の人権を尊重していると説明してきました。ところが昨年から交渉を拒否し、実態も説明どおりではなく人権が無視されていることが、96年末にRlNK(すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク)など外国人の人権擁護に関わっている団体が共同して現地調査した結果明らかになりました。

 

 考える会はセンターと調査結果と異なっているものを中心に1.収容されている人同士のコミュニケーションは自由にできているとのことだったがこれは事実か、2,電話は届出制だが自由にかけられる。手紙は検閲するが内容は消さない。これは事実か、3.保護室の利用は1、2回で収容者同士のケンカが理由と言うことだったが、今どうなっているか。など7項目での話し合いを申し入れていました。

 

 しかしこれ以外の問題点も多く、スペイン語に対応できると言っていたのに、ポルトガル語でしか対応しない、大使館への連絡もとってくれない、弁護士の選任もできない、退去強制命令に対する異議申し立てへの説明もない、隔離室に縛り付けられていた2人の女性の話、社長に預けていた賃金について職員があきらめろといった話も調査団は聞いてきています。

 

 10月から交渉について連絡をとり始め話合い項目、参加者名簿を知らせ、また交渉日もいくつか上げたものの、いつまで経っても何の連絡もなく、電話すると従来話している内容なので、改めて話しあう必要はないと拒否、その後も年末年始は忙しい、三月に入ると年度末で忙しいという態度でした。センターに出かけてこの間の経過について質すと「会わなければならない義務はない」「法律、政令、規則、通達、入管白書といった対外的に明らかにされている一般的ものは話あうがそれ以外については話ができない。何が一般的かはセンターが判断する」というかたくなな態度でした。従来私たちに説明してきた内容がウソだと追求されることを嫌がっているとしか思えません。

 

 考える会では今後とも粘り強くセンターとの話し合いを継続し収容外国人の人権を守る活動を続けていきたいと思っています。

 

安威野通信11号 98/9/21 追手門学院大学教職員組合機関誌に掲載