学生時代に社会党に入り、多くの選挙を経験しました。中でも茨木総支部委員長で府議の大友さんの選挙は党、労組、解放同盟、大友会、亘友会(女性の後援会)が総力を挙げて取組み、選挙前には学生バイトも加わってにぎやかでした。 入党時の総支部は老壮青がそろい、知事選や市長選では意見が異なっても和やかな雰囲気でした。これが一変したのが92年の市長選挙。重冨市長の多選反対を理由に大友府議が出馬の意欲を示し始めてから、党の内外で対立が深まり、社会党市議団も分裂、大友府議を支援したのは私だけで、残りの議員は自民、公明と組んで重冨市長の後継、山本助役を担ぎました。 中央でも社会党が自民党に接近し、小選挙区制、政党助成金などを認め、党の基本路線を大きく変えていきました。保身に走る議員が民主党に、また民主党から拒否された人を中心に社民党がつくられました。そんな中で従来の社会党の理念と路線を守ろうと5人の国会議員が中心になって結成されたのが新社会党でした。大政党有利の選挙制度の中で国会議席を失いましたが、それでも公認、推薦など約200名の自治体議員を擁する護憲政党として活動を続けています。 | 幾度も闘った大友府議の選挙 | 核持込みに反対して社会党議員団を先頭にアピール | |
| 成人式会場で社会党のビラを配る | 党で茨木市溶融炉の見学 | | | 機関紙部長として社会新報を 350部拡大しての祝賀会 | 阪急茨木市駅前での宣伝行動 | | | 社会党の分裂につながった茨木市長選 大友候補の選挙事務所 | 社会党の自民党化に反対して | | | 平和憲法と社会党の弱体化に反対して | 自衛隊の海外派兵に反対して阪急茨木市駅前で | |
| 新社会党結成全国大会で矢田部理委員長と (東京) | 中の島メーデーで歩く | |
| 沖縄で米軍基地の縮小撤去を求めて | 党結成後初めての衆議院選挙を闘う 隣は柏本景司候補 |
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| 新社会党大阪府本部の新春旗開きで挨拶 | 中之島メーデーで挨拶 | | | 大阪知事選挙で鰺坂候補を応援(鯵坂知事候補、松平東大阪市議、志位共産党委員長) |
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