茨木市議会議員 山下けいきHP

 

懲罰に対する山下の弁明

 

 先ず最初に国連旗を置いた理由を申し上げます

 国連の実際的な働きには不十分さや問題点があることは承知していますが、国連旗は世界の人々が住む5大陸をデザインしている旗です。国旗国歌法推進の裏にある極端なナショナリズムが見受けられる今、私はすべての人々、すべての地域が平和な協力関係を目指すシンボルとして机に置いたものであります。

 

 次に私が日の丸にこだわる理由を申し上げたいと思います。

日の丸と戦争とは切っても切れない関係にありました。先の戦争が侵略戦争であったことは誰しもが認めるものであります。当時鬼畜米英と宣伝されていましたが、歴史の真実は鬼畜米英ではなく、鬼畜日本だったのではないでしょうか。

日の丸の下、天皇の軍隊がアジアの人々に、南京大虐殺、731部隊、軍事的性奴隷、創氏改名、国家神道の強制など残虐非道な侵略行為を働いた事実は枚挙にいとまがありません。

 

 今回さまざまな反応がありました。朝鮮で教師をされていた方からは、戦時中、朝鮮人の家に日の丸が掲揚されているかどうか、憲兵の厳しいチェックがあったと記し、激励の手紙をいただきました。

 

  原爆詩人の栗原貞子さんは「旗」という詩の中で「日の丸の赤は人民の血、白地の白は人民の骨 日本人は忘れてもアジアの人々は忘れない 一度目は過ちでも 二度目は裏切りだ」と述べています。

 

  戦争のむごたらしさは国内でも同様です。歴史の改ざんは先の議会で述べた通りですが、治安維持法を中心とした思想弾圧によって平和主義者が数々の弾圧を受け、獄中で殺されました。国家総動員法によって国民は管理と監視、命令の中で不自由な思いをしました。

 

  私の郷里は鹿児島です。知覧や万世という特攻隊の基地があり、また枕崎には近海で撃沈された、戦艦大和の乗組員を追悼する記念碑が、開聞岳や東シナ海を眺望する場所に建てられています。 薩摩半島の笠沙、坊津には爆弾とともに敵の軍艦に突入する特攻艇の記念碑があります。いずれも片道の燃料しか積んでいませんでした。再び生きて帰ることは許さず、虫けらのごとく人の命が扱われた記念碑でもあります。出撃していった若者の心境はいかばかりだったでしょうか。

 

  しかし、敗戦前後、これだけの犠牲を国内外に強いた昭和天皇や支配層の最大の関心事は「国体は守られるのか」にありました。これらの事実に国家のむごさ、戦争を指導していた天皇をはじめとする権力者の非人間性をつくづく感じずにはいられません。

 

  過去の戦争に対する真摯な反省がないままに、日の丸,君が代が大手を振ってまかり通ることに私は大きな痛みと警戒心を抱かずにはいられません。

 

 また議場への日の丸掲揚は、「国民のための国家から、国家のための国民」に変えようとするものであり、国民主権の原則を歪めるものであります。

これはホッブスや、ロック,ルソーの近代政治思想からの後退であり、社会進歩に逆行する考えといってもおかしくありません。

 

  橋のない川の著者、住井すえさんは 人偏に為すと書いて偽り 国境などというもの偽り、いつかは消えてなくなるといっておりました。国家を超えるEUが順調に推移し、国際化時代といわれる中で国家の意味合いも変化しています。

 

 日の丸,君が代が、いたずらな国家主義、愛国主義の象徴となり亡国につながった過去の歴史を思うとき、またこれからの国際時代にもふさわしくないことを思うとき、私がとった行為は、懲罰には値しないということを申し上げ弁明とします。