朝田充議員への懲罰反対の討論
私は市議会議員朝田充君に対する懲罰に反対する立場から討論します。
懲罰動議の案文の中に「議事の混乱を目的として小型の国連旗に模した旗を置いた」とありますが、ここにいらっしゃる人は、動議を提出された方も含めて、問題の発端が「議事の混乱を目的として」ではなかったことは十分承知のはずであります。日の丸が議場に持ち込まれなければ、国連旗も、懲罰で議会が混乱することもなかったことは明白であります。
またこの旗は少数の声を踏みにじった行為に対する、実にささやかな対応策にすぎません。国連旗が会議規則第145条の携帯品にはあたらないことは明らかです。大きな日の丸を掲げておきながら、小さな国連旗を問題にすることなど私の理解を超えるものです。またこの程度の行為が地方自治法の定める議長の第104条の議事整理権、及び152条の秩序保持権の対象にはあたるとは思えません。
憲法は 11条で国民はすべての基本的人権の享有を妨げられないとし、13 条で生命,自由および幸福追求に対する国民の権利は公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要としております。また19条の思想良心の自由、21条の表現の自由などを高らかに定めております。そして第12条ではこれらの基本的人権は国民の不断の努力によって保持することを定めています。
思想信条に関わるものを多数者が受忍の範囲だとして少数者に強制するなどあってはならないことです。思想良心は人格そのものであり、これを認めないのは人間性の否定そのものであります。人間性を否定する最たるものが戦争であることは言うまでもありません。そんなことまでして掲揚することの思惑に私は大きな問題を感じざるを得ませんし、抵抗せざるを得ないのです。
「鈴と,小鳥と、それから私、みんな違ってみんないい」とは金子みすずの詩でありますが、「みんな違ってみんないい」という思想こそ根付いていくべきだと私は考えます。よく言われる自主性、主体性、独創性の大切さは口だけに終わらしてはならないと私は考えます。
問題は混乱が起きることを十分に予見しながら、議長が 2会派の強い反対を押し切って日の丸を議場に掲げたことにあります。それが懸案事項であったにしろ、思想良心の自由に関わる重大な問題を軽軽に扱ってはなりません。掲揚されているのが門真、大東の 2市に過ぎない中で早急に結論を出す必要もありませんでした。日の丸は議会とは全く無縁のしろものでありますし、放置したからと言って直ちに議会運営に支障をもたらすものでもありません。
また日の丸があれば議会が活発になるものでもありませんし、かえって私は言論の自由に対する圧力につながるものを感じます。 全体の合意が得られない場合、合意を得る努力をするか、一旦終結するかの賢明な判断こそ議長に求められていたと私は思います。
以上朝田 充議員に対する懲罰はまったく不当であることを申し上げ討論を終わります。ありがとうございました。
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