茨木市議会議員 山下けいきHP

 

 

尖閣諸島沖における中国漁船衝突事件に関する抗議決議に対する反対討論

2010年12月10日

 私は尖閣諸島沖における中国漁船衝突事件に関する抗議決議に対し反対の立場から討論いたします。

まず、大変瑣末なことから申し上げます。

その一つはこの決議の表題は「抗議決議」とありますが、一体、どこの誰に、何が問題だと抗議するのかがどこにもない不可思議な決議になっています。
下記の事項を実現するよう強く求めるといいながら、記載している3項目のどこにも抗議先、抗議内容は見当たりません。表題に偽りありです。

瑣末な二点目は中国漁船衝突事件とありますが、これでは事件の内容が全く不明であります。みんなが知っている内容であったとしても、中国漁船が何と衝突し、その経過のどこに抗議すべき内容があるのかの記載があって初めて、抗議することの説得力が生まれる文章になります。
立場は違いますが、この内容ではなぜ抗議するのかという理由が薄弱すぎると私は思ってしまいました。

さて私は領土に関する問題も日本国憲法の立場から考えなければならないと思っています。ご承知の通り、憲法前文には「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とあります。

領土問題になると、いつの間にか意図的かどうかは分かりませんが、このことを忘れてしまい、国益一色になるのを私は大変残念に思うものであります。
その国益についても、企業の利益がそこで働く労働者全体の利益と同一でないように、必ずしも国民の利益とイコールではないことも指摘したいと思います。

 今回の決議には「尖閣諸島は日本固有の領土で領有権の問題は存在しない」のが政府の見解であるとして、過去の経緯を見ても中国や台湾が領有権について独自の主張を行ったのは1970年以降であり、それ以前は、どの国も我が国の領有について異議を唱えたことはなかったとの記述があります。

 はたしてそうでしょうか。この主張の根幹は尖閣諸島、中国では釣魚(ちょうぎょ)諸島といいますが、この尖閣諸島が1985年に日本が「領有」を宣言するに至るまで、いずれの国にも属さない「国際法上の無主地」(所有者のいない土地)であった。そういうことにつきます。

しかしこのような主張は文献学的に全く成り立ちません。尖閣諸島の島々は中国が明の時代から中国領として、それぞれ釣魚台(ちょうぎょだい)以下の名称がつけられ、当時中国の沿岸を荒らし回っていた倭寇に対する海上の防衛区域に含まれ、沿海防衛のための地図にも記載されていました。

 日本政府やマスコミが主張する国際法上の「無主地先占の法理」からすれば、尖閣諸島を最初に発見し、命名した中国に領有権が生じます。
しかも明政府はこれらの諸島を海上防衛の区域に定めていました。たとえ無人島であったとしても、今日の言葉で言えば「実行支配」が成立していました。

また中国には尖閣諸島に関する多数の歴史的文献があります。しかし明治維新以前の日本には尖閣諸島に関する文献は、江戸幕府に対して国防の重要性を訴えた『海国兵談』で有名な林子平の『三国通覧図説』ただ一つしかありません。

この林子平にしても日本の国防の重要性を訴える観点から書いているにもかかわらず、尖閣諸島をはっきりと中国領に区分しています。 
また、これらの諸島に関する琉球の文献も、いずれも中国の文献に依拠したものであり、島の名前を中国名で記し中国領としています。

 台湾侵略の足がかりとして尖閣諸島をねらっていた日本政府は1885年、海産物業者であった古賀辰四郎による「開拓願い」を受ける形で、沖縄県庁に対してこれらの諸島に対する調査を命じました。
しかし沖縄県は、同年九月二十二日付けの沖縄県令西村捨三の上申書で、これらの島々は「帝国のものなるや不明確なりし為に」として、実地調査して直ちに国標を立てるわけにはいかないだろうという主旨を、政府に伝えています。

日本政府は1895年の閣議決定を経て、翌年四月一日の勅令第十三号で日本領となったと主張しています。しかし沖縄県の編成について記されたその勅令には、久米島や慶良間諸島や鳥島や大東島や宮古諸島や八重山諸島については書かれていても、釣魚(ちょうぎょ)諸島を構成する、日本名では魚釣島(うおつりじま)も久場島(くばじま)も出ていませんし。もちろん「尖閣列島」の名もありません。

尖閣諸島は、どんな条約にもよらず、日清戦争に勝利したドサクサまぎれに領有したものでしかありません。日清戦争後の講話交渉で清国側がこの問題で異議を申し立てなかったことを、日本の領有の正当性の根拠とする主張がありますが、この主張も成立しません。

 なぜなら、1895年の閣議決定は公表されず、尖閣諸島を日本領に編入するという公示も出されていません。講和条約の議題として日本が持ち出した経過もありません。
ですから清国が自分の知らないところで秘密裏に行われた尖閣諸島の強奪に抗議することなどできるわけがないのは理の当然です。

ポツダム宣言には「日本が中国から奪ったすべての地域を返還する」と規定したカイロ宣言の条項は実行される」と明記されており、当然に尖閣諸島もここに含まれています。

日本が国際社会に尖閣列島の領有を主張したのは、1970年8月31日の「アメリカ民政府の監督下にある琉球立法院が行った「尖閣列島の領土防衛に関する要請決議」でありました。日本の国標(国のしるべ)は日清戦争以前も、そののちも建てられず、1966年5月5日にはじめて建てられものです。

これとても「尖閣列島の海底に豊富な油田があることが推定された」のをきっかけに、この地の領有権が日中両国側の争いのまととなってからのことで、はじめて石垣市が建てたものであり、これは沖縄の返還前でもあり、日本国家の行為ではありません。

以上は私のできる範囲で調べたものです。史実と違うというなら、ぜひその根拠を示していただきたいと思います。

今、申し上げた理由により、今回決議が求めている
3項目目の日中両国が築きあげてきた友好関係を大切にするとともに、外交的努力により解決することについては大賛成でありますが

1項目目の、歴史的事実、国際法の道理に即して、尖閣諸島の領有の正当性を国際社会と中国政府に堂々と主張する外交努力を強めること、

2項目目の、尖閣諸島近海の警備体制を維持し、今後も同様の事件が発生した場合には、国内法に基づき厳正に対処することには賛同できません。

 なお、この尖閣問題に関するネットの書き込みなどに目を通すと、かつての大日本帝国憲法時代にみられた中国への蔑視、そして脅威論と敵意が何の根拠もなしにあふれているのにはうんざりしました。歴史を改ざんするかのように、近代日本のアジア侵略の歴史を全く抜きにして、偏狭なナショナリズムをあおる道具になっているといわざるを得ません。
それゆえ、議員や国民には冷静で理知的な対応が求められていると感じています。

最後になりますが、先日、12月8日はこよなく平和を愛したジョンレノンがなくなって30年目の命日でした。そのジョンレノンの名曲で世界で歌われているイマジンには「imagin there is no countries」というフレーズがあります。複数の国があって、国境があって、国と国が対立してという、そんな状況のない状態を想像してごらんと解釈されていますが、私はそんな世界を目指したいと思っています。以上で反対討論を終わります。