1990年

 

安威川ダム特別委員会(10月31日)

◆文書の議会への出し方の問題が出ているが、ダムの関係10数年、決裁が済んでるものと現在交渉過程のものをきっちり分ければ決裁が済み、地元とも話し合いが済み、しかも事業も一定進捗して一応終わったものについては出す考えはあるのか

◆ダム計画が発表されてからこれまでの対応の中で、決裁も終わり事業も終わっているもの、例えば技術調査など、そういったものについて出せるか

◆ダムが全部完成するまで、今まで各自治会に出しているものについても、一切出せないということか。

◆情報公開の中で、安威川ダム関係の市の名前で出した文書の公開を求められた場合の対応は

◆結局地元との関係は一切わからないままにずっと進められる、文書も一向に出てこない、市民から条例に基づき要求があった場合、出された時点で考えるということか

◆市の基本的な考え方として、ダム事業に対し、議会、市民に認識をもってもらおうということからすれば情報公開の精神から、できるだけ情報については要請があれば出していく、要請がなくても積極的に公表していくという姿勢が望ましいと思う。いくら広報でダムの必要性と言っても肝心のところで非公開では市民の共感は得られない

 

安威川ダム特別委員会 5月11日

◆砕石場は市内に4ヶ所あり、さらに上流の亀岡側にはもう4箇所あるということで、現在4箇所とも操業しているのか分からないが、操業しているのがいつの段階で、今後もずっと操業していくのか。あるいは、ダムの事業とからんでやめなければならないようになってくるのか。操業しているときとやめた段階での堆砂の問題、どういう関係が生じてくるのか。

◆従来から堆砂の問題について言っているにもかかわらず、全然対応が出来ていない。堆砂の量が増えたのは、採石場がずっと営業しての数字か一定の段階でやめた時の数字かわからない。

◆車作の文書の問題については資料の中に書かれているが、地元との交渉経過が資料では良く分からない。 具体的に聞くが車作で平成元年8月1日から10月2日まで市に対する要望事項について協議するとあるが、その協議はどうなっているのか。すでに地元ではまとまって一定の要望書を出されたのか

◆大門寺、平成元年7月30日に「安威川ダム建設に関する要求書」を提出されるとあるが中身がわからない

◆文書として出してほしくないということであれば、内容を委員会で口頭で説明を

◆桑原で平成元年7月1日地元のみで各部会においてアンケート調査について協議されるとあるが、どんなアンケート調査かわからない

◆大阪府の事業計画についても口頭説明であり、資料として出てこないのはおかしい

◆今後、地元の具体的な進捗状況についてはこのパターンのままか、地元の中でまとめられた内容についても地元の了解を得ないので委員会にだせない という従来のパターンのままか。

◆大阪府の詫状についても、いちいち大阪府の協議を得て出すということで対応していくのか。

◆答弁の内容は極端に言うと、大阪府と茨木市と地元だけで全部やるので、特別委員会はその結果を待っていればいいという感じにしか思われない。アンケート調査や資料提出についてもうまくやるので、やめてほしいとしか聞こえない。 これはおかしいのではないか