茨木市議会議員 山下けいきHP

 

1992年11月号 窓友新聞

大阪・茨木入管センター建設問題を考える

90年代○社会

 今回の○社会はぺージ建てを変えて、一面から掲載することにしました。ちょっとみなさんと、いま各地で起きている市民運動、住民運動について考えてみようと思ったからです。その一つの例として、法務省が大阪府茨木市にある浪速少年院の敷地内に建設を計画している不法就労外国人の収容施設「西日本入国管理総合センター」(仮称)をめぐる市民の反対運動を取り上げようと思います。断っておきますが、私たちはこの施設の建設反対、賛成のどちらかについているわけではありません。同時に、反対運動をめぐって異なる考えを持っている方のいずれかを応援しようとも思っていません。

 

 ただ、政治に最早何一つ期待出来ない中で、市民運動、住民運動の盛り上がりを期待する一方で、最近、そうした運動に、少しばかり不安と不満を持っているんです。自分たちの主張を通すためには、少々相手の人権を傷つけてもかまわない。あるいは知らないうちに運動によって傷ついている人がいる。そんな場面も目につくのです。

 

 そしてもう一つはいい意味でも、悪い意味でもマスコミを意識しすぎることです。極端な言い方をすれば、朝日新聞がなければ、日本の市民運動の半分は潰れるし、マスコミがなかったら、九割は潰れているという気さえします。そんな中で、市民が市民運動からそっぽを向いてしまったら、それは市民運動と呼ぶことは出来ません。

 

 取材には、矢野宏記者と、○社会初登場、茨木が地元の山田孝記者が当たりました。それぞれの言い分を公平に取材してきたつもりと話しています。どうぞみなさんも、さまざまな意見に耳を傾け、そして考えてみて下さい。

 

 事のおこりは十月の太融寺での窓友会の集いに楓ちゃんという二歳の女の子を連れて参加した高槻市の会員、横山恵子さんがこんな発言をされたことでした。「このセンターは日本に来て不法就労などで強制退去命令を出された外国人を収容する施設なんですが、付近の住民はその外国人が逃亡したら危ないとか、エイズがうつるのではと、建設に反対しています。外国人への偏見から出た反対運動はおかしいと思うのですが・・・」

 

 反対の住民たちは茨木市内で、ちょうちん行列をしたりして建設の反対運動を繰り広げているそうですが、横山さんによるど、横山さんは、入会はしていませんが、そんな運動に疑問を感じた別の市民グループは「茨木入管収容所問題を考える会」(略称・考える会)を作って議論を重ねているそうです。

 

 集いでは、黒田さんから「大谷君、これはちょっとキミの方からも発言した方がいいよ」と促されて、私が、東京・八王子で起こった痴漢騒動の例を上げ「警察は住民のうわさをもとに『外国人には気をつけましょう』というビラを配りましたが、そのうわさはデマだったのです。結果的に、外国人は悪いことをするという偏見を植えつけることになった。それはとてもこわいことです」と指摘し、市民運動についても「ひとつ間違えば自分たちの主張を通すために他人の人権を傷つける。それは市民運動にとって一番気をつけないといけないことです」と話しました。そして「この問題で、私にできることがあったら話に行きますよ」と付け加えたのです。

 

 私があの席でなぜそんなことを言ったかというと少しばかり下地があったのです。その少し前、私は、原爆の被爆者二世の方を取材したのです。その時、被爆二世の一人が「ぼくはもちろん原発には大反対です。でも反原発の市民運動をやっている人たちはもっと嫌いです。なぜなら、彼らは原子力というのは、こんなに恐ろしいものだ。さも原発の近くにいるだけで障害が出るような、訴えを平気でやるんです。少し科学的に考えればあり得ないことでも言うという傾向があるんです。そのためにわれわれ被爆二世はどのくらい迷惑しているか。少々人が迷惑しても自分たちの主義主張が通ればいいという考えは許すことはできません」と話していたのです。

私はこの言葉が大きく胸に響いたのです。被爆二世たちがやっている反核や反戦の運動も市民運動です。このままいけばそのうち、市民運動同士がぶつかることだって起きてしまう。それが今回、この茨木の収容施設を取りあげてみようと思った理由でもあるのです。

 

 収容者のツバで

    エイズがうつる

 

 さて矢野と、山田のニューYYコンビは反対運動を進めている人たちや大阪入国管理局などで話を聞いてきました。それらを紹介する前に、これまでの動きを簡単に説明しておこうと思います。

 

 年々増え続ける不法就労外国人を収容する施設は現在、横浜市と長崎県大村市にあります。でも、収容できるのはこの二施設で四百人足らず。それだけでは対応しきれず、東京や大阪、名古屋など全国八か所の入国管理局でも収容しているのが現状です。しかも、横浜の施設が老朽化しており、法務省は、成田空港に近い茨城県牛久市にある少年矯正施設の敷地に「東日本入国管理総合センター」を、また、茨木市郡山にある浪速少年院の敷地内に「西日本入国管理総合センター」(いずれも仮称)を建設することにして、この春、着工の予定でしたが、順調に工事が進む東と違って、西の方は「入管センターとは収容所ではないか。そんなん造られたら困る」と、地元住民が反対運動を始めたのです。今年二月のことでした。

 

 その時に配られたビラが外国人への偏見に満ちたものだと、NHKや朝日新聞などで最近になって取り上げられ、問題になりました。確かにひどい内容です。

 

〈・密航等で入国した外国人に対する一時的な検査でエイズ患者・伝染病人・風土病人の見つけ出しは漏れなくできるのでしょうかー。

・これらの収容者が施設の庭にはくタン・ツバは雨水にまじり、下流の池に流れます。下水、汚水は下水道に流れます。蝿、蚊、ゴキブリ、ネズミ等の病害虫が病原菌を周辺地域にまきちらす。こんなことが完全に防げるのでしょうかー。

・収容された者に面会を求め、多くの外国人が茨木市にきて駅、公園、施設周辺の路上や民家の庭で野宿をしたり、たむろしたりはしないでしょうかー。東京の上野公園や新宿駅前には多くの外国人が群をなしておるとか、野宿しているとか、不法外国人が工場やアパートを占拠1の様なニュースは毎日のように目にし、耳にします〉

 

 これを読んだ地元の人たちの中で、入管センターに収容される外国人は怖い者、病原菌を撒き散らす者という偏見を持つ人も少なくなく、不安を募らせていったわけです。

 こうして、地元の郡連合自治会は三月五日、約二千人の反対署名を集めて市長に請願書を提出。市議会では、「請願書の内容が排外的だ」として一人が採択をボイコットした以外は全会一致でその請願書を可決しました。さらに、郡連合自治会の中に「入管センター建設反対推進委員会」を結成、地元以外の市民一にも建設反対を呼びかけ、七月までに二万人を超える反対署名を集めました。そして九月十九日の夜、約三百五十人が市民グラウンドからJR茨木駅までの約三百bを手にちょうちんを持ってデモ行進したのです。

 

 さて、大阪駅からJR京都線で約二十分、大阪のベッドタウン・茨木市は人口約二十五万人の都市。山田君を連れて茨木市に乗り込んだ矢野君は先輩風を吹かせて「記者の第一歩はまず現地を見ることだ」と、入管センター建設予定地へ向かいました。JR茨木駅からバスで北へ約二十分、郡山地区周辺は農村地帯でところどころに新興住宅があります。

 

 ここでちょっと読者のみなさんが混乱しないために整理しておきますと、収容施設が出来るのが郡山一丁目、そしてちょうちん行列を呼びかけた自治会が「郡連合自治会」、さらに施設の用地を狭んで反対側には、新興住宅や、郡山団地があり、ここは「新郡山自治連絡協議会」を作っています。また郡連合自治会の反対運動に疑問を持つ人たちは、地域に関係なく、「茨木入管収容所建設問題を考える会」をつくっています。

 

 現地では山田君が「ぼくの中学が近くなんで、よくこの辺は自転車で通ってたんです」と案内役です。やがて、浪速少年院へ続く道の両側に「外国人強制収容所建設反対」と書かれた二十本ほどの黄色いのぼりが目に飛び込んできました。それに「住民無視の強制退退去者収容所建設断固阻止」と黒字で書かれた高さ二bの立て看板も建てられ、地元住民の反対運動の激しさを物語っているようです。

 

 坂をあがり、浪速少年院の正面玄関を素通りした二人は、職員団地の四階の階段踊り場から建設予定地を探しました。少年院の南西に木々がうっそうど広がっており、どうやらそこが建設予定地のようです。カメラを取り出そうとしていると、少年院から職員が自転車に乗ってやって来て、階下から何やら叫んでいます。「そこで何をしているんですか。ここは法務省の敷地で立入り禁止ですよ」と手招きされ、二人は事情を説明しました。すると、その職員はかたい表情をゆるめて「怪しい二人連れが少年院の敷地に入 ったというので飛んで来たんです」とのこと。そして「まあ、どうぞ」と、少年院に案内され、今回の問題の思わぬ余波を語ってくれました。

「いや、実は私らも困っているんですよ。この少年院が出来たのが大正十二年、日本でも一番古い建物なんです。それで入管センターとあわせてこの春に改築工事の予定だったんですが、工事もできない状態でね」「地元説明会には私たちも同席するのですが、『入管の収容所ができると、地価が下がる』という声も多かったですよ。迷惑施設と考えているようでしたね」

 

 こんな話を耳に残して、矢野君は大阪市中央区にある大阪入国管理局を訪ねることにしました。次長室は大阪第二法務局合同庁舎の五階。エレベーターを降りると、残留資格を申請に来た外国人でごった返していました。その向かいにある総務課の奥に次長室があり、そこで坂中英徳・次長にお話を伺いました。

 

―まずは基本的なことから教えてください。入管センターは不法就労者の収容所と考えていいんですか、

「確かに、入管法に違反し、強制退去命令を出された外国人が出国するまでの短期問、だいたい一週問から十日ぐらいですが、三百人程度宿泊する施設です。でもそれだけじゃないんですよ。大阪入管局の分室として、ここの施設の半分を移転するんです。退去強制手続きの部門、職員の語学研修、出入国管理行政の情報を集中するための施設でもあるのです」

 

―不法就労外国人が年々増えているから必要な施設だということですが、どれぐらい増えているんですか。「

「労働が認められていない観光ビザや就学生ビザで日本に来て、無許可で働いたり、滞在期問を過ぎても日本にいる不法外国人は、推定ですが、二十八万人はいるとみてます。そのうち強制退去させられた外国人をみると、昭和六十年で六千九百五人だったのが、昨年は三万六千二百七十五人。ちなみに大阪ではその中の約四千人でしたが、今年はこの夏までに約五千人を数えてますからね。関西新空港ができたら、ますます増えますよ」

 

―地元説明会で、住民からどんな声が上がったのか聞かせてください。

「説明会はこれまでに十回以上開いたのですが、六月以降はポイコットされているのが現状です。当初はあの問題になったビラに書かれているような、外国人のタンやつばからエイズや風土病などがうつるのではないかという声もありました。ほかに『子供が外国人と、あったら恐怖感を感じる』とか『逃亡して子供が襲われるのではないか』という声も聞かれました。入管センターに収容される外国人たちは犯罪者でばなく、そのほとんどが行政手続きに違反した人たちなのです。それなのに幕末の黒船騒ぎのようでした」

 

 付近の住民にとって、収容された外国人が逃亡するのではないか、という不安の声が上がっています。それに対して、入管局は格子のついた部屋だから、とか高い壁をつくるから逃亡はありえないと説明したのですが、それがかえって火に油をそそぐことになり、それみろ、やっぱり収容される外国人は危険人物やないか、となったようです。

 

―「建設反対推進委員会」の反対運動に対してはどう思われますか。

「センター建設については昨年暮れ、郡連合自治会にお話してOKをもらっていたんです。それが、浪速少年院の近くに住んでいる郡山の新興住宅の人たちが『私たちは聞いてない。そんなこと勝手にされたら困る』といってこられた。新旧住民の対立が発端だったようにも思います。その後、外国人差別を訴えることで運動を盛り上げましたね。ちょうちん行列にしても時代がかったものでしたし、反対運動に合理性がなく感情的なので、ほぐしていくのが大変でした。でも、行き着くところまでいったかなという感じを受けますね。今は住環境の整備をするという条件つきで前向きに考えていただける、そんな空気が強くなってきたように思います」

 

―ついでに矢野君がもう一方の市民グループ「考える会」について伺うと、「あれは中核や革マルなどの過激派でしょう」という返事がかえってきました。入国管理局としたら、"敵"は地元住民の反対運動だけでいい、「考える会」は地区外の組織だから無視という感じでした。

 

 それにしても以前、在日留学生問題を取材していた時、入管の冷たさに腹を立てた矢野君ですが、今回は多忙の身にもかかわらず次長がわざわざ応対してくれるというサービスぶり。入管センタ ー建設問題ではマスコミの報道によって、世論の矛先が外国人差別を打ち出した住民運動側へ向けられているからかもしれません。

 

センターが収容所だから不安募るんや

 

 一方、山田君は「建設反対推進委員会」委員の生越(おごし)文夫さんに連絡をとりましたが、なかなか取材に応じてくれません。NHKや朝日新聞の報道で、外国人への偏見を取り上げられたので、取材に対して慎重になっているようです。それを粘ってようやく話を聞けることになりました。生越さんの家は浪速少年院に隣接する郡山一丁目にあります。山田君は自転車に乗って自宅から取材に伺いました。

 

「まあ、どうぞ」と通された応接室には五十がらみの生越さんと、四十代初めといった感じの近所に住む、推進委員、谷口邦雄さんが座っていました。

 

 マスコミ報道にがっかりということですが、NHKの報道と十月十九日付けの朝日新聞の「隣人たちの沈黙」という企画のことですね。

谷□さんが答えます。

「偏見を助長するということで我々の運動が描かれましたね。エイズ問題を含めて『タン、つばー』とかというのが先にありきということで取材に来られたので『そういうことではないのですよ』とお話ししたのですがね。私たちはあくまでもこの地域に、こういう収容所をつくるのは場所としてふさわしくないと思うのです」

 

―住宅地だからふさわしくない、と。

「そうです。茨木の市街地の中では、緑豊かな所なんですが、その環境の破壊につながるような危険性があります。周辺地域の自然破壊にもつながる恐れもありますし、古墳群も郡山城跡もありますし、開発から守っていかねば、と思うんです」

 

ー古墳群が破壊されるのですか。

「いや、かなり大規模な開発になりますから、そういう工事は慎重にせなあかんということで……。それよりも手続き論の問題もあるんです。郡三丁目の四組と八組の一というのが、(計画中の入管センターと)一番隣接している地域の 組合組織なんですけども、そこの住民に説明があったのが二月十四日なんです。その時には『下水道なり、道路整備をしなければいけないので』地元への説明会やということやった。『何ができるんですか』と聞いたことから始まったんです。

 いくら国の土地だからといって、勝手にしていいということは通りません。環境を守り、よくしていく方向で、当然声を出していかなあかんということで、反対運動を始めたんです。予算もついて、予算化された後、入札が行われる約一か月前という直前に地元説明会が行われた。住民に何も知らせないで前の年の春ごろに郡連合自治会の役員経験者とか水利組合とかの長のところには話はあった。後で聞いたら、その時も詳しい話はせずに『何やらセンターやから文化センターやろ』みたいな受けとめ方をしていた人もいて、その時に反対意見がなかったからGOサインが出たものとして話が進んできたのです」

 

落ち着いた語りで話す谷口さんは一息ついたあと、入管側の誠意のなさについての話を続けます。

「それに最も大きな世帯(約二千世帯)の新郡山地区には説明会も予定されてなかったんです。我々の方から『こんな話がありますよ』と言って『そりゃえらいこっちゃ』ということで三月十二日に説明会を開かせた。手続き的にも地元の納得を得た上で建設しようという姿勢がまったくなかった」

 

―ところで、問題になった差別的なビラはどのようにして作られたのですか。

「二月十四日の説明会の約一週間後、我々はいろんな声も反映させなあかんという中で作ったんです。署名行動や『他のところにも知らせなあかん』『住民運動をしていかなあかん』ということで一つの資料にしたもんなんです。配ったといっても、知り合いのところに渡していくということで、何十部という単位で、配った期間も一週 間ぐらいなんです」

 

―そのビラはどのように作られたのですか。

「有志数名がいろんな不安があるのを声にして『こういうようになったら困りますね』と。エイズやゴキブリ、たん、つばのことも出てきました。そして、ビラを出してすぐに、我々自身の中から『これは問題や。差別につながる』と指摘があり、修正して作り直しました。建設反対推進委員会を発足させる前に訂正したんです。訂正したものが半年以上もたった今、マスコミなどで報道されるのが心外なんです。内部からの指摘で訂正したのに、朝日新聞では一、二週間たってから外部の指摘で訂正したような文面になっています。この問題は我々の内部できちんと解決した問題なんです。ですから、我々が住民の不安をあおりたてるようなかたちで運動をやったというのは、明らかにつくられたものなんです」

 

―ぼくは、あのビラは差別的だったと思いますし、差別された側からしたら、例えそれが不特定多数の外国人に対してのことだとしても、訂正文のようなものを出してほしいと思うでしょうね。

「最初から社会的なことでやっててですね、対外的にも声明をださなあかんとかという運動だったらそうかもしれませんが、あくまでも有志による運動で、それも内部で克服して修正したことですから」

 

―会としての問題ではないとおっしゃることはわかるんですけど、会としての責任うんぬんではなく、事実でないことが書かれたんですから、当然ビラを読んだ人に対して訂正すべきでしょう。

「そこになると見解の相違です。不安や疑問が差別や偏見につながるかもしれませんが、それはその時に出てきた声であって、今からみると『誤っている』と言えるでしょうけど、その当時やその局面によっては『もっともや』という評価も与えられるんですよ」

 

ー不安が出てくる背景に、差別や偏見があったと思うんですよ。不安があるのはわかるのですが、エイズの人が吐いたタンやつばが雨水に流れてーというのは有り得ないことです。そういう不安を持ってしまうこと自体に偏見があると思います。差別意識があることこそ、事実ではないことがオーバーになっていくと思うんです。

 

「そうですね。反対署名の反対理由の項目整理にしても、そういったことを整理した上で正式に反対運動を始めたのが三月なんです。ですから、二月の一時期の部分に誤りが、だいぶ時期を隔てて誇大にされるんですよね」

 

 差別ビラに対して「内部で処理したから、すんだこと」という二人、それでは解決にはならないと思う山田君の意見は平行線のままです。山田君は入管センター建設による住民の不安について尋ねました。

 

ーこのセンターが収容所だから、そこに収容された外国人が逃亡したらという不安があると聞いたのですが。

「少年院ができて七十年ぐらいですが、この間何十件という脱走があるのです。現に私がここに来てからもありました。脱走になりますと、実際に恐怖感があるんですよ。上空にはヘリコプターが来ますし、みんな家の窓を閉め切って」

 

これまで、ずっと話を聞いていた生越さんも口を開きます。

「私は昼間、家にいませんので、女房から聞いたのですが、少年院から『扉を閉めてください』とか『外に出ないで下さい』とかいった呼びかけがあるそうです。入管収容所も少年院と同じようなことだと思うんです」

 

ただここで読者の方に一つお断りしておかなくてはならないことは、生越さんも、谷口さんも少年院が出来たあと、この地に来られたそうです。

 

―外国人だからダメということではなく、収容所だから反対ということですか。

「そうです。たまたま外国人であるだけなんです。多くの人は収容所というと脱走ということが気になります。今度の場合は、言葉が通じないかもしれないということもありますし。そんな不安を我々は抱え込んでいるんですよ。どんな人であれ、一定の 期間自由を拘束されるところですので逃亡することもあります。現在、入管局は工事に踏み切っていません。住民側の同意がまったく得られていないのでできないのです。私たちは法務省が強行するのであれば、身体をはって実力行使で食い止めると伝えています。私たちの姿勢は一貫してます。ちょうちんデモもやりましたし」

 

―そのちょうちん行列ですが、どういった方が参加されましたか。

「我々は『ちょうちんデモ』と呼んでいます。私たちの郡連合自治会と新郡山地区などの住民、一般市民の方、それに共産党市議が四人、新郡山地区の無所属議員一人も参加してくれました。『考える会』では、ちょうちん行列は天皇制うんぬんということを書いたビラを配ってましたが、天皇制の話を持ち出して結果的には我々の運動つぶしをしているのですよ」

 

ー「考える会」は外国人労働者の人権の観点から反対されていますが。

「我々も不法外国人や国としての政策も学習材料にしていますが、我々の運動の中でこれらについての考え方の一致を図ろうとは考えていません。ですから、会の中に外国人に対する差別意識を持ったり、エイズに対して差別意識を持ったりしている人もいるかもしれません。我々の運動の中でそこまで担うことは難しいです」

 

 取材を終えての帰り道、差別をなくしたいという思いで黒田ジャーナルの門をたたいた山田君としては、気持ちが晴れません。会のメンバーが差別意識を持っていたとしてもそれは知らないというのに引っかかりを感じたのです。自分たちの権利を主張するのなら、人の権利を最も侵害する、自分たちの差別意識をなくすべきではないか。そんな思いを引きずりながら、郡地区に住みながら、考える会の会合も覗いているという二人の女性、鎌田妙子さん(三九)と大川知恵子さん(四六)の声を聞きました。

 

「引っ越してきてまだ四か月なんですが、ここに来てすぐに自治会から建設反対の署名やちょうちん行列の参加を要請されました。私は入国管理センターの存在そのものには反対なので署名はしましたが、ちょうちん行列や集会には参加しませんでした。私はいろんな問題を地域に働きかけていきたいと思っていますので、反対運動に反対するとつまはじきにされて自分の訴えたいことが理解されないのではと思い、あえて反論しませんでした。署名を集めに回っている人たちは持ち回りの役員の方でしたが、デマや偏見に踊らされているようでした」と鎌田さん。

 

大川さんはこの地域の特性について語ってくれました。

「最近の反対運動は、当初出てたような差別的な発言は出ていません。朝日新聞などでたたかれたので静かになった感じですね。この地域は最近少しずつ建売の家ができていますが、昔からずっと住んでいる方も多く、ある意味では『村』なんです。新しく入ってくる人は数が少ないので同化しなくちゃやっていけない。自治会から言ってくる、公民館のバザーも、募金も表立っては反対できないし、違ったものは受け入れられないんですよ」

 

そして、二人とも「今回の問題をきっかけに外国人労働者の間題を考えるようになりました」と語っていました。

 

「外国人締め出す入管制度が問題」

 

 さて、「運動つぶし」とか「過激派の輩」などと言われている「考える会」の方は、矢野君が話を伺いました。会の中心は、社会党市議の山下慶喜さん(三九)です。もともと鹿児島県生まれで高校を卒業後、茨木市に来て新聞配達をしながら同志社大学へ通い、二十七歳の若さで市議初当選、市議会の副議長をつとめたこともあり、現在四期目。この問題で地元住民が市議会に請願書を提出した時、その内容があまりにも排外的だったので一人採択をボイコットした人です。

 

 入管局では「考える会」は過激派とみているようですよ。

「成田(闘争)の人間がやらせているのではと言われたこともありますから」

そういって微笑む山下さん。スマートな紳士といった感じで、笑うと細い目が一段と細くなります。

 

―茨木市はこの問題に対してどんな考えなんですか。

「国が推進していることだから、賛成も反対もしない立場です。ただ、建設には地元と円満に話をつけてほしいという姿勢ですね」

 

―「考える会」と「建設反対推進委員会」の違いを教えてください。

「入管収容所建設には私たちも反対なんです。でも、その理由は逆です。外国人は受け入れるべきだと思ってますから、外国人を締め出す入管制度自体に問題があると考えています。日本の企業や商社はアジアなどに好き放題に進出して、そこに住む人たちの生活を土足で踏みにじることをやっておきながら、外国人を受け入れるのは厳しい条件をつけていますよね。エゴですよ。国際化といいながら、それは建前でしかない。入管制度は日本のナショナリズムみたいなものですよ。人手不足だからといって外国人労働者を利用し、不況だからといってクビを切る。国としていらなくなったら強制送還、そのための収容所には反対ですね」

 

―あの例の反対ビラが会の発足のきっかけになったと聞きましたが。

「会の正式な発足は七月なんですが、あのビラを見た二月からずっとこれは問題だと思っていました。人権がキーワードになる時代なのに、時代錯誤ですね。外国人への人権への配慮がぜんぜん見えません」

 

ーちょうちん行列はどうですか。

「ちょうちん行列で思い出すものは、戦勝祝い、出征兵士の送り出し、それに天皇の祝いです。明治以来、ちょうちん行列は戦争の歴史と一体のものでしたからね。夜中にデモをするのでわかるようにという意図もあったと思いますが、感覚が異様ですね」

 

ーところで、地元住民による「建設反対推進委員会」の現状をどうみてますか。

「最近では盛り上がりがないですね。排外主義を非難されたから、住環境や市のイメージが悪くなるという理由をあげており、運動も手詰まりの状態でしょう」

「考える会」の今後の運動方法について尋ねた時、玄関で声がしました。振り返ると、おばあさんが立っています。

 

「この近所で野良ネコが車にはねられて、その死骸をどうにかしてほしいという依頼なんですよ。ちょっとすいません」と言って山下さんは市役所に電話をかけます。そして、

 

「えーと、考える会の今後でしたっけ。今回の問題で『はっきりしたことは、日本人の中に排他的な流れがあるということです。この異質な者に対する排除するエネルギーはどこに向かうかわからないんです。今回はたまたま不法外国人でしたが、これが在日韓国人や被差別部落の人に向けられるかもしれない。そうならないためにも、市民の意識を変えていかねばならないと思うんです」

 

 確かにそうですね。地元の人たちもいい人たちなんでしょうが、実際に自分に振りかかってくると本性が外にでてしまう。これは地元の人たちだけでなく、私たちもそうなんですがね。「おかしいと思うことに声を上げることが大切だと思います。

 今回のような建設反対を求める回覧ビラが回ってきた時も、おかしいと思った人は少なくないと思いますよ。でも表現できない。近所付き合いというしがらみもあって、隣をみてみんなと同じようにする。違ったことをすると異質の者として見られることに恐れをいだくからでしょうが、たとえ少数者になろうが本音で語り合えれば、もっと住みよい町になると思います。でも、そうなると私のように過激派などと陰で言われるんでしょうけどね」

 

 いかがでしたか。以上が矢野、山田コンビが取材してきた内容です。最初に書いたように、私たちはそのいずれが正しいという気はありません。ただ、一つ言えることは、私たちの国が外国人、外国人労働者に対してあまりに無責任だということです。

 

 労働力が不足している時は、何十万人となるまで、手を打たず、必要なくなると強制送還の数を急増させる。そしてさあ施設が必要だ、となって入管は国の要請を受けざるを得ません。そして同時に、私たちの社会も外国人に対するコンセンサスが出来ていない。だから同じ市民運動にしても、今度のようにバラバラの考えがぶつかってしまうんです。

 

 先日のNHKの特集を思い出しました。いま駐日タイ大使館では、暴力団に日本に連れて来られてパスポートを取上げられ、売春を強要されているタイ女性にパスポートがなくても帰国出来る措置をとっています。そういう人でもしっかりした身元保証人がない場合は、茨木に出来たような施設に一時収容されます。番組に出てきたタイ女性の「こんなことになるまで日本は大好きな国だったのに」という言葉が耳に残っています。

 労働者も、留学生も、みんなが嫌いになって帰って行く日本。矢野君たちの原稿を見ながら、寂しくてなりません。

 

 さて、「考える会」は、十二月十七日の夜、茨木市の福祉文化会館で、市民講演会を開くそうで、大谷が矢野君を通じて、講師をお願いされました。その時の模様は、一月号でご報告させていただきます。