西日本入管センター関連 1993.6.17 産経
人権考ー重い共存の課題
とにかく、このままではだめだ。身近な所に「不法外国人」の収容施設ができてしまう。
昨年2月に大阪・茨木市の郡山地区に持ち上がった西日本入国管理総合センター(仮称)の建設問題。住民らの不安は、つのった。
反対の急先鉾は、建設予定地(浪速少年院敷地内)周辺の住民らで組織した「入管センター建設反対推進委員会」代表の福井喜代司さん(65)らだった。
その運動に首をかしげる人がいた。
茨木市議の山下慶喜さん。反対推進委が作った一枚のビラが、疑念の発端だ。
<密航で入国した外国人に、一時的な検査でエイズが見つけ出せるのか>
<収容所のタンやツバは雨水に混じり、下流の池に流れる・・・>
その文面を見て、山下さんは言葉を失った。
「外国人差別を公然と正当化するようなビラだ」
マスコミも、山下さんの思いと同じだった。ある全国紙は<偏見ありあり回覧ビラ>の見出しをつけて報道。英国紙「インディペンデント」も「茨木の住民は恐ろしい外国人たちが来たらどうなるのかーという意味のようなシナリオを作り上げた」と厳しく論じた。
山下さんは昨年7月、「茨木市入管収容所建設問題を考える会」を結成した。福井さんらと同じように、建設には反対だ。が、その理念は全く違った。
「人手不足の時は、低賃金を良いことに発展途上国などから、めいっぱい労働者を集め、不況になったとたん、今度は一転して追放する。入管センターは、そんな日本政府の『エゴ』の象徴なんです」
ビラの波紋は、大きかった。福井さんの自宅には、50本を超える電話や手紙が殺到した。
「なぜ外国人を差別するのか」「エイズの偏見が甚だしい」
大半が抗議の内容だった。福井さんは、電話を受けた相手には必ず受話器を取り、実名の手紙には、何枚もの返信を書いた。それは、福井さんの精いっぱいの誠意だった。
「あのビラは、本当に軽率でした。入管側の説明会で『病気の人や、麻薬犯を収容する』と聞かされて、驚いてしまった」
1年4ヵ月間の福井さんらの反対運動は今、ピリオドが打たれた。一方で、山下さんらの「もう一つの反対運動」は、なお続く。
福井さんは言った。
「外国人に対する私たちの意識も変わりました。暗いイメージを与える収容センターという名称は変えてほしい。物々しい鉄格子がはまった施設は、よくないですからね」
外国人との「共存」。そんな命題が、苦悩から生まれていた。