茨木市議会議員 山下けいきHP]

 

平和運動1995.5.20
                    

大阪  吹田市議会 「平和決議」を守り抜く  

  400人の市民が臨時議会の開催阻止

 宮城県塩釜市議会の「侵略戦争反省決議」(本紙第428号7面参照)を撤回に追い込んで勢いづく右翼勢力は、今度は大阪府の吹田市議会決議にその矛先を向けたが、市民の果敢な闘いによってその策動は阻止された。
 吹田市議会は昨年12月28日に全会一致で「不戦平和を願う決議」を可決し、さらに今年3月24日には、社会・共産両党の共同提案による「戦後50周年を迎えるにあたり、憲法の平和原則を守り、核兵器廃絶と世界平和確立を誓う決議」を社会、共産、公明の賛成多数で可決した。反対したのは自民党と新生、民社は退場した。特に3月の決議は、「1931年の…中国東北部侵略から太平洋戦争に至る15年戦争は…軍国主義が引き起こした侵略戦争であることは歴史の真実に照らして明白である」と明記し、最後に@国内外の戦争犠牲者への誠意ある戦後補償措置A自衛隊海外派遣の拡大など軍事大国化への反対B憲法の平和原則厳守と核廃絶を求める内容となっている。この決議採択が報道された直後から右翼団体が動き出し、4月14日には井川登市議会議長(新生)に対して「不戦決議はすでに憲法にうたわれており、このような重大な問題を一市議会が決議すべきではなく、大戦の被害もあいまいで、国論が分かれている間題だ。両決議を撤回せよ」と申し入れた。また、全国の右翼団体が吹田市に街宣車を集中するとの情報も伝えられた。
 こうした右翼団体の圧力を背景に、市議会内で三3月の「平和決議」の見直しを求める動きが始まった。4月28日には臨時市議会開催を要求する「吹田市議会臨時招集請求書」が自民5名、公明7名、新生3名、民社1名、社会1名、無所属1名の署名で岸田市長に提出された。一方、市議会の正副議長は先の決議の見直しを求める「戦没者への迫悼及ぴ恒久平和等に関する意見書(案)」を持って各党議員を説得した。この内容は『わが国の国難に直面し、尊い命を捧げられた戦没者に対し心から追悼と感謝の意を表する…(先の決議)については、現在、国において先の戦争等に対する論議がなされており、慎重に検討するものとする」というもの。これは、日本遺族会や英霊にこたえる会などが国会での「侵略謝罪決議」を阻止するために地方議会に働きかけて採択させてきた「戦没者迫悼・感謝決議」と同じ内容で、侵略戦争とその渦中での戦死者を賛美するとともに、先の決議を実質的に棚上げしてしまおうという、まさに右翼団体の要求に沿ったものだった。
 こうした右翼団体や議会内の動きに危機感を持った吹田市民は「3.24平和決議を守ろう、吹田市民連絡会」を結成、井川議長への臨時市議会開催中止及び意見書取り下げの申し入れ、市内各地域へのチラシ配布、議員への激励などを行い、また全国への支援を訴えた。これに応えて、全国からは市議会や各会派議員に連日たくさんの抗議や激励のファックスが寄せられた。
 臨時議会開催前日の5月14日タ方からは、「連絡会」が市役所前で抗議集会をもち、「関西共同行動」の中北龍太郎弁護土や尼崎の酒井一市議ら府下の市民派議員も激励にかけつけた。その後は雨をついて徹夜の座り込み。
茨木市議の山下慶喜議員も座り込みに参加。翌朝には「右翼の圧力から自由と民主主義・平和主義を守る吹田市民の会」(共産党系)のメンバーも駆け付けた。
 臨時議会は旧議員によって審議が行われる.市役所前に機動隊の車3台が待機するという物々しい雰囲気の中で、集まった市民たちは、各会派議員への臨時議会開催中止の要請行動を行い、開催された場合には出席しないよう説得活動を展開。さらに、議長室前や各派議員控え室前、議場前に座り込み、議員が議場に入場しないよう監視を続けた。かけつける市民は増え続
け、結局400人にものぽる市民たちの粘り強い奮闘で、臨時議会開会時問切れの夕方5時になっても議長が議会の開会を宣言できず、ついに流会!決議の見直しを求める意見書は廃案に!
 その時、市役所内は大きな拍手と歓声で沸き返った。右翼団体の圧力に屈伏しようとした市議会を市民の力で押し返し、「平和決議」を守りぬいたのだ。
 この意義は大きい。国会での「侵略謝罪」決議阻止を狙う右翼勢力は、この5月、6月の地方議会で「戦没者迫悼・感謝決議」をさらに増やそうと策動している。今回の勝利をステップに、「戦没者迫悼」に名を借りた侵略戦争を賛美する地方議会決議に反対する取り組みをいっそう強めるとともに、国会での「侵略謝罪決議」実現を求める決議を地方議会の場からあげていくことが重要と思う。(吹田市・通信員)