茨木市議会議員 山下けいきHP

 

 学校長の写真額は何のためか

 

2004年3月17日 文教人権常任委員会

○山下委員 それから、同じく本会議の中で質疑させていただいた件ですけれども、校長の 写真額 の問題です。私、今、手元に資料がありませんけれども、教育長のご答弁の中では、業者がプレゼントするというようなことは一切ないと。校長が自費でそれをやっているんだというような答弁であったわけですけれども、本当にすべて 写真額 があるところは、そういった形でやっているのかどうか、改めてお聞きをしたいというふうに思います。

 
 それから、 写真額 の問題は、これは職務とか、そういったこととは一切関係ないと思うんですね。ですから、やってもやらなくても、校長が判断したらいいことだというふうに私は思いますけれども、そういった理解でいいのかどうか、お聞きをしたいと思います。


 それから、公的な空間である校長室、あるいは校長室のそばにくっついてる来賓の控室みたいなのがありますけれども、ああいった空間が、そんなことでやられていっていいのかどうか、私は疑問に思っています。市長とか、教育長については、別に 写真額 というのはないわけですよね。

 学校長だけ何かこう、昔からやられているから今もやるんだということでなさっているのかもしれませんけれども、どうも私は学校現場にはそういったものはふさわしくない。校長さん1人だけですべて学校運営やっているわけじゃありませんし、教職員の方、それから児童・生徒も含めて、そういったいろんな人たちが一つの学校の伝統を築いていくと。あるいは地域の関係者もありますし。そういった中で、何か校長さんだけがやってるようなニュアンスになるというのは、いかがなものかなというふうに思っていますけれども、改めてその点についての見解をお伺いしたいというふうに思っています。

○畑学校人権教育課長 校長室の写真のことでございますけれども、校長や職員は写真を見ることで、校長を中心とする、学校の歩んできた歴史を感じ、自校の教育の発展、充実に意欲が喚起されるものと考えております。


 なお、歴代校長の写真を校長室に掲げることは学校長の判断でありまして、市教育委員会と校長との関係の中で、指示や指導はなじまないと考えております。現実、小・中学校45校中、2校には写真はございません。
それから、その費用のことでございますけれども、それぞれの学校で退任した校長が、みずから写真を準備しているというふうに聞いております。


○山下委員 それから、校長の 写真額 も、教育長が本会議で答弁されていますから、それを逸脱するような答弁はできないのかもしれませんけれども、歴代校長の顔を見ながら、その学校の歴史に思いをはせるというのは、私はどうもそういう言い方しかできないんだろうなというふうに思いながらも、やっぱりこれはやめていってもいいと思うんですよ。

 それで、校長が自分で判断できることで、教育委員会からああだこうだというような指導、指示は一切してないということですから、学校長さんが自分で、もうやめようという判断をすれば、それはそれでもういいわけですか。

 校長がやめるという判断をしたときに問題になってくるのが、歴代校長の 写真額 をどのようにするのかということもあると思いますけど、これはそういった校長さんが生存しておれば、その方のご意向に沿うような形で、あるいはもういらっしゃらないということであれば、ご家族の方に丁寧に「お世話になりました」ということで、私は返したらいいというふうに思いますけれども、校長が自分で、もうやめようと。学校の教育内容と一切関係ないし、校長だけが偉いわけでもないし、そういった判断でやめたら、それはそれでいいというふうに、それこそ、それに対して指導とか指示ということは一切ないということで理解していいのかどうか、お聞きをしたいというふうに思います。

○大橋教育長 次に、顔写真の件でございますが、非常に悩ましい質問でございまして、校長判断でやめさせてよいのかということでございますけれども、これは学校長裁量でありますので、教育委員会と学校の関係で、指示、命令や指導になじまない内容だというように考えております。校長室に掲げていることにつきましては、施設管理は学校長の権限であり、校長室に掲げる云々は学校長の判断であると思います。

 教育的効果につきまして、顔写真でもって積極的に教育しようとは考えておりません。歴代校長の功績をたたえ顕彰することは妥当だというように考えておりますので、ご理解願いたいと思います。

○山下委員 それから、歴代校長の業績をたたえるということで、そういった一面もあるということかもしれませんけれども、やっぱり校長は一人でして、学校運営は全体でされているわけです。校長一人がすべての教職員を体現化するということは、私はできないと思ってます。

 そういう点でいうと、例えば、どうしても要るということであれば、2003年やったら、2003年の4月時点で、これだけの学校教職員の人たちがやっていたと。校長さんはこういう校長さんやったし、理科の先生はこういう先生やったと。あるいは給食で働いている方はこういった人がおったと。そちらのほうが私はずっと、ほのぼのとしていいんじゃないかなと。やっぱりいろんな人がおって、あのときの学校は楽しかったなという形で、卒業生が、例えば校長室に来たときに、あの先生はどうしているかな、この先生はどうしているかなと、お世話になったなというのがやっぱり出てくるというのが、いいんじゃないかなというふうに思うんです。

 それを一人の校長の写真だけでは、そんな話というのはちょっと難しいかなと。やっぱり、あのときの学校の雰囲気というのは、全体をいろんな人がいててということが、私は要るんじゃないかなというふうに思うんです。そんなことまでして、わざわざ 写真額 をつくる必要がないということやったら、やっぱり校長だけの分についても、変えていってもいい、なくしてもいいというふうに思います。だから、これは難しい点はあるかもしれませんけれども、学校長が一定の配慮をしながら、やめるということがあれば、やめてもいいのかということで、再度、それだけですわ。学校長の判断でできるのかどうか。教育委員会は、それを続けろとか、やめろという指図はしないのかどうか、その点、もう一回お聞きをしたいなというふうに思います。

○大橋教育長 心情的には学校長の役割というのは、管理、運営を中心として、重責を持ちながら、今までの学校の歴史を背負って努力してこられたという功績については、やっぱり大事にしたいというように思います。ただ、校長判断で顔写真の掲示についてやめてよいのかということにつきましては、先ほど申しあげましたように、教育委員会と学校との関係で、指示、命令、指導というのはなじまないというふうに思います。

○山下委員 それでは、顔写真、顔写真といいますと何か指名手配みたいな感じするんですけど、 写真額 という言い方がいいのかどうかわかりませんけども、そういったことで質問させていただきました。

 それで、確かにいろんな方が、何度も言うのは学校長だけなのかという点のこだわりなんです。地域の関係者にいつもお世話になっていると言いながら、地域関係者の 写真額 があるわけでもない。学校職員、まとまっていろいろやってるけれども、教職員の姿がそこにあるわけじゃない。だからやっぱり、校長が何ぼのもんやと言うたら、これはきつい言い方ですけれども、やはり学校長だけがそこにあるというのは、何か私はちょっとやり過ぎじゃないかなと。

 やっぱり、みんなで教育をやるという観点からいいますと、校長だけが何か偉そうに、現在の教職員を何か拝謁やないけど、そんな雰囲気というのはよくないなと。学校というのは、私はやっぱり教育の中で、権威とか権力と最もほど遠いところにあるべきだというふうに日ごろから思ってるんですね。そういう点でいいますと、そういったものを象徴するようなものとして、あそこにあれがあるということについては、やっぱりなくなる、そんな風景というのを学校に望みたいなというふうに思っています。
 ですから、学校長がみずからの判断でそういう対応をするということであれば、それは構わないという答弁だったというふうに思いますので、それはそういう理解をしたいというふうに思います。