茨木市議会議員 山下けいきHP

 

市民憲章の強制はおかしい 

2001年9月20日 決算委員会

 

○山下委員 さらに 市民憲章 の問題です。私は茨木市歌についても時世にあわないというふうに思っておりますけれども、 市民憲章 も、だんだん内容的に問題があるのではないかというのが1点。もう一つは他市の状況から言いますと、市民が唱和するというスタイルです。これは非常に茨木だけの特異な現象になっているのではないかというふうに思っています。

  市民憲章 も調べさせていただきました。北摂と北河内、比較的茨木市によく似ているような文化風土のところですけれども、これでいいますと、箕面市は 市民憲章 がございません。それから同じく豊中市もありません。池田市も 市民憲章 的なものは、例えば都市宣言というようなものはありますけれども、これは平和安全都市とか、そういったたぐいのものでして、いわゆる茨木市の 市民憲章 とは全く異なるものです。それから吹田市も 市民憲章 はございません。それから門真市にはありますけれども、唱和というようなスタイルはとっておりません。それから枚方市も公共施設の入口付近に掲示をしているという程度にとどまっております。それから守口市もありますけれども、唱和はしておりません。交野もしておりません。それから摂津も 市民憲章 はありますけれども、唱和はとっておりません。残りの四條畷、寝屋川、高槻が唱和しているという事例がありますけれども、これも成人式ぐらいにやっているだけで、茨木市みたいに行事のたびごとまでとは言いませんけれども、頻繁にリードする人が「1.わたくしたち茨木市民は」という形で、後に続くというようなことはやっていないわけです。

 私は「仕事にはげんで明るい家庭をきずきましょう」というのが、いつも中にありますけれども、これは皆が皆、仕事をしたいと思って仕事につけている状況だったらいいけれども、これだけ不況になってきて、失業者がどんどんふえて、そんな中で、脳天気といったら失礼かもしれませんけれども、仕事に励んでなんていうのは、私は口にしにくい。同時に昔のように1人のリーダーが声をかけて、皆がそれに口を合わせて言うという、このスタイルは「日の丸」「君が代」ではないですけれども、非常に抵抗感を覚えるのです。皆が皆、 市民憲章 の中身で、これは万全だと普遍的な価値を言っているのだと、そういうふうになっているとは思わないのです。

  市民憲章 の中身もいろいろ議論があって当然だし、そういったのを十年一日がごとく、皆、立たないと目立つという状況の中で、実質強制しているような状況がありはしないかと。市民感覚から言いますと、ああいった唱和するスタイルの雰囲気というのは、日ごろ経験していないことなのです。 市民憲章 についてどういうふうに思っているかは全く抜きにして、個々の感情とか感覚とか、そんなことは一切無視して、ともかく皆、自分だけ立たなかったら、何か言われるのと違うかとか、そういう雰囲気の中で、これをやるということについては、私は他市の状況も含めて見直すべきだというふうに思うんです。形式で強制するというやり方は、私は卑怯なやり方だというふうに思います。

 いろんな意味で、個性とかそれぞれの感覚とか、そんなものを重視するというのが、私は時代に沿ったやり方だというふうに思うんです。そういう点で、 市民憲章 の内容はいろいろありますけれども、置いておいたとしても、皆で一同起立、そして唱和させると、このスタイルは市の行事からも、あるいは教育委員会の行事からも、できるだけなくしていくという努力がいるのではないかというふうに思いますけれども、答弁をいただきたいというふうに思います。

○中畑市民生活部長  市民憲章 の関係についてご答弁申しあげます。

 まず時世に内容があわないと、こういったことでのご質疑、ご指摘をいただいているわけでございますが、これも大変長い年月、昭和41年に制定をされておりまして、そういった時代と今と比較しますと、確かにそういった部分、不明確な部分といったことも一定あるかもわかりませんが、ただ生活信条といたしましては、普遍的な考え方ということは変わっていないと、このような考え方を持っているわけでございます。

 現時点で今おっしゃっているような形で見直すという考えは持っておりません。時世は動いているということ、これは事実でございます。

 それと、他市の例を出されてご質疑があったわけでございますが、それはそれぞれの市のさまざまな成り立ち、そのような形の中で、それぞれの市が判断をなされたことでございますので、私どもがどうこういうのは持っておりません。本市としてはこういった形で、長い間市民の中で親しまれてやってきておりますので、今後についても、こういった形で唱和を行ってまいりたい。

 また、これを広める団体といたしまして、住みよいまちづくり協議会といった中で、市民の方々に普及啓発を図っていただいていると、こういったこともございます。また、それを市民に広く広めていこうといったことで、市の諸行事の中で唱和をすると、これについても今おっしゃられたような形で見直すという考えは持っておりませんので、よろしくお願い申しあげます。

○山下委員 それから 市民憲章 については、私は内容的には普通のことを普通に書いているだけに過ぎないと。あいさつみたいなものだと、私は思うんです。おはよう、こんにちは、ありがとう、それを励行しましょうというようなことを書いているだけに過ぎない、内容的に言いますと。茨木のほうは 市民憲章 運動というのが恐らく全国的に、どこかの団体が音頭をとってやったのだというふうに推測をいたします。当初はこういった茨木みたいな 市民憲章 だったと思いますけれども、他市の 市民憲章 は茨木よりはずっとましだと思うんです。内容について時間がありませんので紹介しません。ここに 市民憲章 でどういったことを書いているかというのがありますけれども、やはり日本国憲法の平和とか、それから地方自治体の自治とか、もっとすばらしい内容になっていると思うんです。

 茨木の分は市の施設も一緒で、新しい施設は立派だけれども、昔の施設は老朽化して見るに耐えないということがありますけれども、この 市民憲章 も一番最初につくったときよりも、後からつくられたもののほうが、まだまだ立派といいますか、そういった傾向があります。私は 市民憲章 そのものを定めることの是非については置いておきますけれども、ただ問題なのは、行事、セレモニーのたびにともかく全員を立たせて唱和をさせる。この形式はどうもなじめない。内容がどんなことであるかというよりも、皆を立たせることに本当に意味があるのではないかというような、そういうふうにまで、私は考えてしまうのです。ともかく皆を立たせて口を開かせて、同じことを言ってもらう。ここに意味があるのではないかと。

 これは会場の雰囲気で一人ひとりに強制をするということにつながってくるのです。別に皆で言うことに何の意味もないというふうに私は思います。 市民憲章 があるというだけでいいではないですか。それをわざわざ何で唱和をさせるのですか。せめて唱和をするというスタイルだけでも、今後やめるということも含めて、それぞれの主催団体もありますけど、市としてはそういったことはやめてほしいと思いますけれども、ぜひ検討いただきたいと思いますが、この点についての答弁をいただきたいというふうに思います。

 

○中畑市民生活部長  市民憲章 の唱和の関係でございますが、セレモニーのたびに唱和させるのがおかしいのではないかと、こういったご質疑をいただいているわけでございますが、先ほどもご答弁申しあげましたように、 市民憲章 そのものを制定されたのは市民の盛り上がりといったことから、こういう制定を行ったものでございまして、また本市としても、これらの考え方、生活信条として普遍的な考え方を市民の方々に広く浸透させていこうと、こういう意味もございまして、市民の方々が参加をいただく諸行事の中で、唱和をしていただいているということでございますので、こういったことについての見直しとか、そういったことについては考えておりませんので、よろしくお願い申しあげます

○山下委員  それから、 市民憲章 についても、私は人間というのは面従腹背という言葉がありますけれども、見た感じでは従っているように見えるけれども、心の中では別のことを考える、そんなことがあります。 市民憲章 の中身は確かに悪いことを書いてあるとまでは、私は言いませんけれども、ごくごくわずかなことを小学校や幼稚園で言うようなことを、大の大人が声を出して大きな声で言うなんていうのは、これは普通の市民にとっては物すごく違和感を感じることなんです。違和感を感じているにもかかわらず、しかもそんな人がたくさんいるにもかかわらず、それが表に出せない雰囲気を行政がつくり出すと、こういうことは極力なくしていかなければならない。私はそう思うんです。嫌だと思いながら、しかし立たなければ何か言われると。皆立っているし、同じにしていたほうが無難かと。

 よその状況はさっき言ったとおりです。茨木市みたいな形でやっているのは北摂と北河内の中でごくごくわずか。それも成人式等に限定されている。茨木市は行事のたびごとまでは言いませんけれども、かなりの頻度で 市民憲章 をただプリントにして渡しているだけではなくて、唱和させています。それは時世に合わないし、市民感覚に合わないし、面従腹背というような気持ちを起こさせる。しかも内容的にも本当に普通の道徳的なことを言っている、いいことを言ってるから、それでいいではないかという理屈はおかしいというふうに思います。

 そういう点で、ぜひ唱和をする機会を少なくすると。そういう考え方はできないものでしょうか。答弁いただきたいというふうに思います。

○中畑市民生活部長 先ほどもご答弁申しあげましたように、こういった市民の生活信条、この内容、それらを市民の方々に広めていこうといったことで、私どももさまざまな刊行物とか、あるいは広報等、あるいは駅前広場等にも掲げて、市民の方々に知っていただこうと、こういった考え方でやっておるわけでございまして、市が主催する諸行事の中でも、こういったことで市民の方々に少しでも浸透させていきたいと、こんな考え方をもっておりますので、今ご指摘いただいているように、唱和を見直すという考え方は持っておりませんので、よろしくお願いいたします。

○山下委員 中畑さんとだけずっとやっていても仕方ないかというふうに思います。私は 市民憲章 でここに書かれてあることというのは、要するに、そういったセレモニーに参加なされている方は、ほとんど実行しているか、あるいはそれに近い方々が多いかというふうに思うんです。ただ、こういった決まりを守らない人というのは、その場にそもそも来ないという状況があるような気すらするのです。個人の思想、信条とか、あるいは生活習慣とか、そういったことにかかわる問題だと思うんです。それに一定の枠を公的団体が強いるということについては、問題があるというふうに思いますけれども、前のお三方のほうからご答弁いただきたいというふうに思います。

○野村助役  市民憲章 の制定の経過につきましては、先ほど来から市民生活部長が答弁しているとおりでございますが、内容につきましては、市民一人ひとりの生活信条として「明るく住みよいまちづくり」を目指しての指針でございます。また、内容につきましても、普遍的な内容で表現されているところでございまして、すべての行事について唱和するということではなしに、唱和がなじむような行事については唱和しているところでございます。

 したがいまして、今後とも、この 市民憲章 が市民一人ひとりの生活信条として浸透しますように、唱和は続けてまいりたいと存じます。

○山下委員 困りました、その答弁というのは。まさに私が言ってることと反対のことをどんどんやりたいと、そういうようなふうに聞こえたわけですけれども、 市民憲章 は。茨木市歌というのもあります。時世とともに、内容がふさわしくなくなってくる。茨木市歌の歌詞を見て、今の茨木市にふさわしいと思っている人はほとんどいてないのではないかというふうに思うんです。私が茨木市歌の問題を言ったときに、ともかくそれを作曲された方、作詩をされた方、そういった方々もいらっしゃるのでというようなことも含めて、そういった方への配慮ということで、茨木市が市制50周年とか、そんな節目に見直したらどうかということを言いましたけれども、見直しがなされないままです。

 そしたら、先ほどの教育委員会の話ではないですけれども、未来永劫、茨木市民は茨木市歌というのを歌っていかなければならないのか。あるいは茨木 市民憲章 というのを未来永劫、見直しをされないままやっていくのかということにもなってくるのです。だから1番最初に 市民憲章 がつくられた。 市民憲章 をつくった方々もいらっしゃる。茨木市歌もつくった方がいらっしゃる。それは尊重したらいいと思うんです。第1次茨木市歌、第1次茨木 市民憲章 でいいと思うんです。やっぱり第2次をつくらないといけないときには第2次をつくる。あるいはそれがもういらないということだったら、思い切って廃止をすると。そんなことが内容的に要るかと思うんです。

 もう一つは唱和というスタイルが、昔、皇居のあるほうを向いて、臣民の誓いみたいなことをやっていましたでしょう。あれは日本人だけではなくて、本会議でも言いましたけれども、朝鮮だとか、要するに侵略したところでも皇居を遙拝をさせる。そのときに帝国臣民の誓いみたいなことをやらせていたわけです。そのスタイルはその内容について、違和感を持っていようが何しようが、一つの型にはめて、その型の中で有無を言わさないような雰囲気をつくり出すという、そういった効果も私は考えていたのだと思うんです。当時の支配者というのは。私も茨木 市民憲章 を唱和するスタイルというのは、そのときの情景にダブって仕方がないのです。いろんなことを考えていようが、ともかく立たせる、唱和してもらうというスタイルが、これは卑怯です。権力を持っている者が権力にものを言わせて、皆を立たせる、しゃべらせる、どうもそういう雰囲気を私は感じるのです。

 そういう点でいうたら、唱和というスタイルはぜひ少なくしていただきたい。一挙にゼロというふうにはならないかもしれませんけれども、少なくするというのが、市民の思想信、条というものを大事にする、公権力で強制しない、そういうことだというふうに思うんです。ぜひその点は意見だけ言いまして終わりたいと思います。