茨木市議会議員 山下けいきHP

 

市民憲章はおかしい 

1995年6月14日 本会議

 

2点目でありますけれども。

 本市の竣工式、行事に、私たちもさまざまなところにご案内をいただいて出席をするわけであります。本市の場合は、茨木市だけかどうか私はよくわかりませんけれども、大抵、行事になりますと正面には日の丸、式次第には君が代と、この2点セットの天皇制にかかわるようなことが絶えずされるということになっております。4月11日に私は奈良東公園の竣工式に出席いたしました。このときは、年号については平成でありましたし、先ほどの2点セットも備えての3点セットというふうになっていたわけでありますけれども。私は、この十年一日がごとき―これは10年では足らんで20年、30年やっているのかもしれませんけれども、絶えず日の丸、君が代、「平成」というような、こういったものはもうそろそろやめたらどうかというふうに思いますけれども、ご見解をお伺いしたいと思います。

 それから、この竣工式の式次第は、君が代斉唱は全員という形で載っておりますし、 市民憲章 も、唱和というのが全員というふうになっています。この 市民憲章 について私は疑問を感じておりまして、お聞きをしたいわけでありますけれども、この茨木の 市民憲章 を定めた意義は一体何なのかということでお聞きをしたいというふうに思います。

 それから 市民憲章 には、5つのことを「やりましょう」ということで書いてあります。具体的に言いますと、1つは「心をあわせて あすの力をそだてましょう」というのがあります。市長は、ここにいらっしゃる中で最も市長として行事に参加し、最もこの 市民憲章 を唱和されている方だというふうに思いますので、「心をあわせて あすの力」というふうにありますけれども、「あすの力」とは具体的に一体何なのかですね。

 それから2番目に、「仕事にはげんで 明るい家庭をきずきましょう」というのがあります。仕事に絡んで言いますと、昨今、働きバチやとか仕事中毒やと、最近は過労死ということも言われるわけでありますけれども、そういうことでは到底明るい家庭につながらないというふうに私は思いますけれども、こういったことは現在の時勢に合っているのかどうかですね。

 それから、「環境をととのえて 美しいまちをつくりましょう」とありますけれども、環境も適度であれば問題はありませんけれども、あんまり環境を整え過ぎて自然を破壊するということもあるわけです。(何事か呼ぶ者あり)

 それから、「良い風習をひろめましょう」というのもありますけれども……。(「人の意見聞け」と呼ぶ者あり)

 議長、ちょっと制止してくださいよ。(「独断と偏見の質問はええかげんにせえよ」と呼ぶ者あり)

 

○議長(茂手木幹久君) 質問を続けてください。

 

○6番(山下慶喜君) ちょっと制止してくださいよ。

○議長(茂手木幹久君) 続けてください。(「質問せえよ」と呼ぶ者あり)

 

○6番(山下慶喜君) 不規則発言、やめてくださいよ。(「だまって質問しなさい。質問の時間」と呼ぶ者あり)

○議長(茂手木幹久君) 続けてください、質問を。静粛にしてください。

○6番(山下慶喜君) それと、本市の場合は 市民憲章 というのがあるわけでありますけれども、他市でこの 市民憲章 というものを持っている市がどれぐらいあるのか。それから、式のたびごとにこれを唱和させている自治体がどれぐらいあるのかということで、お聞きをしたいというふうに思います。

 それから、君が代の斉唱も 市民憲章 も、いずれにしても式次第の中には「全員」ということがあるわけです。議員の中にも、君が代に抵抗感を抱いている議員はおりますし、当然市民の中にもそういう方がいらっしゃるはずです。君が代も 市民憲章 も全員やらなあかんというような式次第は大変大きな問題だというふうに思いますけれども、これについては問題であるという認識をされているのかどうか、お聞きをいたしたいと思います。

 

○市長公室長(田畑 俊君) 最初に、君が代についてのご質問をいただいておりますが、これをやめてはどうかというご質問です。君が代は、今まで長年の慣行によりまして我が国に定着しておりますので、国民の間にもその辺の認識があると思いますので、式典の中に次第として入れているものであります。そして、これに敬意を表するというふうなことも国際的な常識になっておりますので、式次第の中に入れております。今後も続けていくという考えであります。

 そして、 市民憲章 の意義についてでございますが。 市民憲章 は、これもかなりの経過がありまして、いろいろご質疑をいただいている主な5つの項目がありますが、これはその場その場で思いつきの市民道徳を高めようとするということよりも、茨木市民としての市民性を高めて、より住みよい共同体をつくっていくために、市民としての生活信条として、市民一人ひとりの公徳心を高めると。そして、より明るく幸せな生活ができる基準となるものであるという、その共通理解をするためのものとして制定しているものであります。

 憲章の中で「心をあわせて あすの力を」という、その言葉の意味はどういうことであるかということでありますが。その言葉の意味どおりとっていただいたらいいわけですが、やはり丈夫な体とか心をつくっていこうと、あるいは「隣の町内仲よく力をあわせましょう」とか、あるいは健全な余暇活動というようなことをねらいとして、「心をあわせて あすの力をそだてましょう」というような制定内容になっております。

 そして府下の状況、あわせてまた、他市でこのような 市民憲章 を唱和されているかどうかということですが。他市におきましても、府内では25市が制定しております。また、式典の中でそういう唱和があるかどうかというご質疑ですが、これは他市の状況、その式典等を把握しておりませんので、今、わからない状況であります。  以上です。

 

○6番(山下慶喜君) それから、日の丸、君が代の問題を本会議で長くやる気はありませんけれども。要するに市民の中に考え方の違う者が存在しているときに、市の主催する行事等で、例えば全員に対してそのことを心理的に強制するような形のやり方というのは、やっぱり望ましくないというふうに思うんですね。この 市民憲章 の中身も、先ほど解釈をお聞きいたしましたけれども、ストンと私の胸に落ちるというようなものはなかったわけであります。

 

 さらに、これは1966年ですから、30年ぐらい前のものでありますけれども、10年で世の中は大分変わるという中で30年ぐらい経過しているわけですから、これを市民の方々は「なるほどそうだ」と、「いいことを書いてる」というふうに、さっといけるような状況にあるのかどうか、私は非常に疑問を持っています。問題は、一つの考え方を市民の方々に強制することがないというのが私は大事だと思っているんです。

 

 この 市民憲章 を見て私が感じましたのは、ことしは敗戦から50年ですけれども、日本が朝鮮に侵略をしていって、皇国臣民の誓いというものを朝鮮の児童に対して強制したことであります。「一つ、私どもは大日本帝国の臣民であります」とか、「私どもは心をあわせて天皇陛下に忠義を尽くします」とか、「私どもは忍苦、鍛練して立派な強い国民になります」ということを朝鮮の子どもたちに強いたということがあります。また、「一億一心火の玉」だということで戦争に向かっていった。こういったものは大抵、唱和という形式をとって、そういった雰囲気に持っていって、全体を一つの方向にやっていくということで、憲法にいたしましても教育基本法にいたしましても、個人の考え方、それを尊重するということに現在はなっているわけでありますから、そこに参加している人にあんまりこういった強制をするようなことについてはやめるべきではないかと。

 

  市民憲章 も、印刷物に記載している分については私は譲りますけれども、全員に対して唱和させるんだというような形で、こういった式次第等に「全員」というようなことについては、これはもうこの際、やめるという形が望ましいというふうに思いますけれども、その点の考え方をお聞きをしたいと思います。

 ついでに言いますけれども、国際化ということが言われています。全員が唱和する姿を例えばミネアポリスの人が見たり、中国・安慶市の人たちが見た場合に、これはかなり異様な雰囲気というものを感じるのではないかというふうに思いますので、念のために言っておきたいというふうに思います。

 

○市長公室長(田畑 俊君 君が代と 市民憲章 のことについてご質疑をいただいているわけですが。強制するというようなことはよくないというご指摘をいただいておりますが、市の記念式典で君が代の斉唱を行っておりますが、決してそのような場合、強制というものは行っておりません。また 市民憲章 の場合も、先ほどご答弁させていただきましたように、その場その場の思いつきの市民道徳を高めようということよりも、やはり一定の決まった形でいつまでも、その生活信条として公徳心を高めていった方がよいという市民の盛り上がりによって制定され、長い歴史のある 市民憲章 であります。

 

 市がいろんな行事において唱和いたしておりますのは、茨木市住みよいまちづくり協議会から、市民が会合等で意識高揚を図るためにその唱和を実践しているので、制定した市あるいは教育委員会等が主催する市民参加の諸行事において、率先してその唱和を実践したいという要望も受けての話であります。しかしながら、 市民憲章 につきましては、やはりいろんな諸行事がありますので、その 市民憲章 を唱和することがなじむ行事について唱和を行っているものでありまして、何が何でも金科玉条のごとく唱和するというような形で処理はしておりません。なじまないようなものについては除外しておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

 以上です。